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2005年07月19日 北海道「北の屋台」17万3000人の集客と3億円を超える売上げを記録(坂本)

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 今、全国的に屋台がブームです。このブームは私たち帯広の北の屋台が火を点けたと自負しています。2001年7月末にオープンした北の屋台は、毎年着実に右肩上がりに成長を続け、04年度は帯広市の人口(17万2000人)以上の17万3000人の集客と3億円を超える売上げを記録しました。この実績が中心市街地活性化の成功事例として紹介されたことで全国各地に北の屋台をモデルとした屋台村が30カ所ほども企画されてます。

 北の屋台の費用対効果を考察すると、北の屋台はまちづくり事業としては予算面でも優良な超ローコスト事業だということが分かります。いわゆる「箱物」と言われる建物を建設するハード事業では何億円もの費用が掛かってしまいますが、屋台はソフト重視の事業であり建物も仮設物ですから総額7500万円という小額で事業が出来ました。

 内訳は、組合側の負担は厨房建物の建設と上下水道配管・電気配線に3000万円(150万円×20ブース)、トイレに900万円、シンボル像や植樹やロードヒーティング等に600万円の計4500万円でした。出店者側の負担は、屋台制作費・什器備品・冬囲い制作費の3つがそれぞれ平均50万円で、1軒150万円×20ブースで計3000万円、これらの総合計で7500万円でした。

 北の屋台の開業場所は160坪程度の面積を19台の月極駐車場として使っていた土地ですから、たった19人しか使用しない場所だったわけです。その場所に年間17万3000人が訪れる場所になったのですから9100倍以上の人が使用する場所になったということになります。

 経済的な面で言っても、年間456万円(2万円×19台×12ヶ月)の駐車場料金収入しか生み出していなかった場所が68倍の3億1000万円の売上をあげる場所になりました。この場所からの収入により生計を立てている人間が20人以上も生まれたと言うことがなによりもすごいことです。

 この企画の検討を始めた1999年4月から2年半の調査研究、宣伝期間を経て、01年7月29日にオープンしましたが、この間は「北海道みたいな寒いところで屋台なんか出来る訳がない」という誤った思い込みを持った周りの人達から散々馬鹿にされてきました。

 しかし、屋台の本場である福岡と帯広の気候風土のデータを比較してみると、福岡よりも帯広の方が最適地だったのです。実際にこの3年11カ月の間で天候を理由に休業した日は1日もありませんでした。
 屋台はすべて飲食業ですが、大農業生産地という地域の特色を活かした「地産地消」を心掛けた結果、客層の6割を地元客が占めており、通年で安定した成績を上げています。

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【著者プロフィール】

 坂本 和昭(さかもと かずあき)1958年1月29日帯広市生まれ。祖父勝が帯広で商売を始めたのが1905年(明治38年)であるから今年で100年目、現在の社屋が建っている場所で80年目を迎えた生粋の道産子。
 帯広柏葉高校、駒澤大学法学部法律学科を卒業後、プロマジシャンを目指すも父親の反対で断念し家業に就く。92年、坂本ビル梶E坂本商事椛纒\取締役社長就任。96年、十勝環境ラボラトリーを設立。00年、北の起業広場協同組合を設立し、人の個性が輝く事業を推進して帯広の地域活性化、まちづくりに力を注ぐ。05年、内閣府等から「観光カリスマ百選」に選定され「屋台村を核とした観光・地域づくりのカリスマ」としても活躍中。全国各地に「北の屋台」をモデルとした屋台村が続々と誕生しており、講演活動に忙しい毎日を過ごしている。 妻、一男二女の5人家族。趣味のマジックは玄人はだし。
受賞歴:02年「北のまちづくり賞・北海道知事賞」、02年「北海道新聞社北のみらい奨励賞」、04年「日本都市計画家協会賞・大賞」、04年「あしたの日本を創る協会ふるさとづくり賞・内閣総理大臣賞」

投稿者 machizukuri : 更新日2005年07月19日

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