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2006年04月25日 第102号

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Report 4万人しか訪れなかった街が200万人を迎い入れる街に

全国一著名なまちづくり長浜市
 日本一著名なまちづくり、滋賀県長浜市の『黒壁』。あまりに有名なためか、そのまちづくりの分析は様々な角度から行われ、見解が多岐に分かれる。「本物志向の観光資源の開発と歴史資源活用による中心市街地活性化」「地域企業と住民が主導する中小都市市街地の再生」「町衆がすすめるまちづくり」などなど。
 同まちづくりの仕掛け人で、まちづくり会社創業の立役者である笹原司朗氏(65)は、異なる考え方を述べる。いわく「ガラス文化を追求してきた結果がまちを再生した」と。笹原氏は「古い町並みを再生しただけでは『死に化粧』にすぎない。生き返らせるためには追求できる文化をまちに埋め込まなければだめだ」と主張する。その結果、4万人しか訪れなかった場所が、10数年後に、年間200万人を迎え入れる商店街としてよみがえった。

まちづくり3法見直しのポイント
 「まちづくり3法見直し」が進められているが、国は「(見直しの中で)コンパクトシティーの精神を示した。これを生かして、まちづくりビジネスを創出し、地域活性化につなげるかどうかは、地方の裁量に委ねられている」。投げたボールを、どう受け取るかが、次の課題だ。
 まち3法見直しはアクセル(改正中心市街地活性化法に基づく活性化)とブレーキ(改正都市計画法に基づく郊外立地規制)にたとえられる。法施行後、国は基本方針を示し、同時に内閣官房に中心市街地活性化本部(事務局は内閣府に置く予定)を設ける。地方がまとめた基本計画を受け付け、認定を経て、アクセル・ブレーキ施策の展開により全国にモデルを構築していく。主なポイントをまとめた。

インタビュー
伊藤滋・早稲田大教授に地方の都市再生を聞く

地方の2番目の都市を再生せよ
 小泉政権の目玉事業の1つ「都市再生」。学生経験者などで構成する都市再生戦略チーム座長で早稲田大学教授の伊藤滋氏に地方の都市再生・活性化についてインタビューした。 
 

シリーズ
環境先進国ドイツの省エネへの挑戦@

家電や人間が発する熱を利用 
 ドイツ南部の都市、ウルム市(人口11万人)のアレキサンダー・ベーチッヒ副市長を訪問した。「政治とは、今起きている問題だけではなく、未来を勝ち抜くために、将来起こりうるだろうことを常に考えて対応をすることだ。我々はエネルギー政策をその第一歩と位置付けている」。ベーチッヒ副市長は、市のビジョンとしてエネルギー問題に力を入れていることを強調する。
 ドイツは16の州から成る連邦国家。環境政策の多くは国ベースで作られている。が、実際には州や市の方針によって環境への取り組みには差がある。ベーチッヒ副市長は「国の環境政策は、その時々の政党によって性質が違ってくるが、ウルムは市独自に15年間もエネルギーへの対策を考え続けている」と説明する。省エネの取り組み、エネルギーの効率的な活用、太陽光や風力など再生可能エネルギーの積極的な利用―などだ。

NEWS
総務省 ITコストの実態公表

 総務省と地方自治情報センターが昨年12月に発表した「市町村の業務システムの導入と運用の経費調査」で、自治体間でコストに大きな差があることが明らかになった。財政難に苦しむ地方自治体にとって、電子自治体が進む一方でITコストのあり方が改めて問われている。

↓続きはここから
売る・作る・見せるをバランスよく実施

所有と利用を分離、黒壁衆が新たな担い手に

 浜市中心商店街をよみがえらせた第3セクター轄封ヌの2代目社長で、同まちづくりの事実上の仕掛け人であった笹原司朗氏(琵琶倉庫且ミ長、65歳)は「ガラス文化の追求」さえ忘れなければ、「来訪者が10%減っても、1億円程度の赤字が発生しても問題ない」と主張する。
 同社の小売販売を主とした年商は平成10年度の8億7700万円をピークに下降線をたどっている(グラフ1)。平成11年度からは4期続けて赤字決算、17年度も再び赤字になる見込みだ。同社担当は赤字理由を「県外への出店・新規事業投資など」と解説する。

 方、来訪者は平成15年度まで増加を続けたものの、16年度・17年度とダウンした(グラフ2)。
 ただスタート時点の9万人(平成元年度の年間推定来訪者)からの推移を見れば黒壁のまちづくりが、いかに成功した事例かがわかる。
 笹原氏は「ガラス文化の追求」が戦略だとすると、時代に適応した戦術がある、と述べる。その戦術とは「売る・作る・見せる」をバランス良く実施することだという。笹原氏は「売ることばかりを考えたら文化事業ではない。しかし売らないと経済行為にならず事業が継続できない。投資部分であるオリジナル商品を作る事、世界から集めたガラスを美術館で見せる事、これと売る事をバランス良く実施することがポイントだ」と説明する。

 らに笹原氏は「みやげ物屋は排除した」ともいう。文化情報発信をしているまちづくりのなかで、タレントショップのような功利追求だけを目的とした商品の販売は許さなかった。
 こうしたまちづくりは情報発信され全国から研究者などを集め、その中の1人徳島大学の矢部拓也助教授は「長浜のまちづくりの特徴は、従来からのまちの担い手である商店主とは異なる地元企業人が、土地・建物の所有者と利用者(不動産経営者)を分離し、新たな担い手(轄封ヌなど)となり、店舗展開を図ったことが成功につながた」と分析をしている。矢部助教授は地域文化のスポンサーである『町衆』(既存商店主)とは違う新たな担い手を、『黒壁衆』(改革派の文化創出者・スポンサー)と呼び、彼らの行動、仕掛けたまちづくりが中心商店街を再生させた、と見ている。

※長浜市中心商店街=市が規定する中心市街地はJR長浜駅を核として西の湖岸道路と東の旧国道8号線に囲まれた125ha。ここに8街区・450店舗で構成される中心商店街がある。この中でも北国街道・大手門通り・祝町通り沿いの店舗が黒壁関連。


歴史・文化・国際性がコンセプト

 浜市中心商店街は、昭和40年代からの郊外店立地により、停滞を始める。
 昭和63年、郊外にショッピングセンター「長浜楽市」ができる。
 当時について笹原氏は「西友の堤清二さんが新しいまちを(郊外に)つくろうと呼び掛け、商店街で元気の良かった50店舗ぐらいを引き抜いてしまった。同時に中心部でカトリック教会が所有していた黒壁(元銀行所有)を売りに出した。青年会議所時代から中心商店街が腐るとまちはつぶれる、といってきた。第3セクター会社をつくり、建物の保存と商店街活性化を同時にやろうと考えた」と振り返る。
 3セク会社に対し当初は、市が1億円ぐらい出資をしてくれると考えていたが、結果的に4000万円にとどまった。黒壁を所有するには9000万円が必要。しかたがなく笹原氏は、経営者仲間に呼び掛け、自らも含めた8社から9000万円を集め、1億3000万円の資本金で轄封ヌを立ち上げた(昭和63年4月)。衰退の一途をたどっていた既存商店街のオーナーからの出資はなかった。株式会社の資本金ウエートが、民間の方が市より高かったことは、後の民間主導のまちづくりの方向性を定めることとなる。
 3セクを設立したが実は何をやるかがまったく決まっていなかった、と笹原氏。ただ事業に必要なコンセプトは「歴史・文化・国際性」の3つだ、という考え方だけはあった。

 うこうするうちに初代社長となった長谷定雄氏(樺キ谷ビル会長)が「ガラスでもやるか」と、突拍子もないことを言い出した。メンバーは、まずは研究から始めようと、昭和63年11月末から約1カ月間、ヨーロッパを視察した。その結果、文化の深さにカルチャーショックを受けた一行は、ガラス文化事業の立ち上げを決意することとなる。
 黒壁所有に、必要な資金を活用してしまったため、残った4000万円と、中小企業金融公庫から1億5000万円を借り、合わせて1億9000万円で施設を再生した。875uの敷地に3棟。社名の由来となる黒壁施設(外壁が黒漆喰、木造土蔵造り2階建て)はガラス館に改修し、そのほかガラス工房・フランス料理店もオープンさせた。
 「この段階においても、うまくいくとはまったく思っていなかった」(笹原氏)。ところがオープンした平成元年7月1カ月で2万人もが訪れ、そのペースがとどまることを知らなかった。
 平成元年11月末の段階で長谷社長と笹原氏(当時・専務取締役)はまちづくりエリアを広げようと決意する。北国街道沿いに120軒の古い民家が存在するデータが市役所にあることを知った笹原氏は、同街道をガラス街道にしようと発案、役員からの反対を受けたものの社長の承認を得て、2期工事につなげていく。こうして黒壁グループ店舗は現在、31店舗を数えるに至った。

 舗の内訳は、直営11店、グループ20店。黒壁の快進撃は既存店にも波及し、同社31店も含め約100店舗がリニューアルなどを行い、長浜市の中心商店街活性化の原動力となった。黒壁関連の店舗はむろんのこと、市中心商店街にある多くの店舗は笹原氏の「おみやげ物屋は排除する。文化を追求する」という考え方に共鳴し、独自の商品展開に挑んでいる。
 黒壁は平成8年に新長浜計画鰍ニいう不動産会社を立ち上げ、空き店舗対策などをシフト、現在はガラス事業に徹しつつある。9億6000万円に資本金を増資した黒壁は、次の展開を模索している。
 徳島大の矢部助教授は「平成8年に開催された『北近江秀吉博覧会』で全国的に名を知られるようになった。イベントには多くの人々がかかわり、ここから非営利組織の『まちづくり役場』ができた。黒壁が兼務していた視察受け入れ業務や、各種団体の事務局機能などを『役場』が担当する形に。さまざまな人が出会う交流の場でもあり、新たなまちづくりの可能性を秘めている」と指摘する。
 笹原氏は体調を崩し平成14年で社長を退任する。しかし笹原氏の精神は、今も長浜のまちづくりの支柱となって生き続けているように見える。

投稿者 machizukuri : 更新日2006年04月25日

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