紙面紹介

« 第129号 | メイン | 第131号 »

2007年02月05日 第130号

19.02.05-130.jpg

川下りを主体に120万人の観光客 福岡県柳川市(人口7万人)
観光とまちづくりはつながっている!

福岡県柳川市の観光資源は長い掘割(ほりわり、水路)。
ここを活用した川下りを主体に年間120万人もの観光客が訪れる。これまでは民間主導で観光産業が起こり展開がされてきた。柳川市の観光は民活による成功事例の1つといえる。掘割をめぐる紆余曲折の歴史には、埋め立て計画、それを翻した住民参加による浄化活動があった。
市民が地域資源を守り、それが観光につながってきた。市民参加による掘割の水の浄化活動が、環境を保全し、地域コミュニティーを再生してきた。
同時に水郷のまちのイメージを向上させ、観光強化にも結びついてきたのだ。ただ観光地として宿泊客数が減少傾向にあるという課題もある。合併後の新市は観光に対し新たな戦略を練り攻めの姿勢を示す。掘割、北原白秋(詩人)、有明海の食材といった豊富な資源を持つ柳川市観光の今にスポットをあてる。

宿泊客数はピーク10万人から下降傾向
年間消費額は60億円に

 柳川観光の特徴について市観光まちづくり課の椛島(かばしま)謙治係長は「(合併後の新市の)掘割は郊外部も含め940qもある。合併前の旧市でも470qあり全面積の12%も占めていた。掘割が多い水郷のまち。地域資源を活用し川下りを主体とした観光を展開してきた。その上に北原白秋、檀一雄などの文化人や、柳川鍋、うなぎのせいろ蒸し、有明海の魚介類といった食材などの地域資源も抱えている」と説明する。

ターゲットは「博物館」・「団塊」・「外国人」
年間120万人の観光客を200万人へ

全国各地が観光戦略をテーマとしている。しかし地域資源を活用した展開ができないでいる。柳川市は(地域資源の)掘割(水路)を生かした川下り観光が著名、しかも観光客数も順調に伸びている。市長の観光に対する思いから、お話願いたい。

指定管理者制度に新たな課題
「モニタリング・評価」はわずか1割

 公の施設の管理・運営を民間企業に開放する「指定管理者制度」について、地方自治体の約9割が、民間企業への委託後のモニタリング・評価を必要と考えているのに対し、実際に、モニタリング・評価の実施手順、評価基準などの指針を作成しているのは約1割にとどまることが、みずほ情報総研の調べで分かった。アンケートは昨年7月に1909自治体を対象に行ったもので、1064自治体から回答を得た。

↓続きはここから
観光とまちづくりはつながっている!

川下りを主体に120万人の観光客 福岡県柳川市(人口7万人)

 福岡県柳川市の観光資源は長い掘割(ほりわり、水路)。ここを活用した川下りを主体に年間120万人もの観光客が訪れる。これまでは民間主導で観光産業が起こり展開がされてきた。柳川市の観光は民活による成功事例の1つといえる。掘割をめぐる紆余曲折の歴史には、埋め立て計画、それを翻した住民参加による浄化活動があった。市民が地域資源を守り、それが観光につながってきた。市民参加による掘割の水の浄化活動が、環境を保全し、地域コミュニティーを再生してきた。同時に水郷のまちのイメージを向上させ、観光強化にも結びついてきたのだ。ただ観光地として宿泊客数が減少傾向にあるという課題もある。合併後の新市は観光に対し新たな戦略を練り攻めの姿勢を示す。掘割、北原白秋(詩人)、有明海の食材といった豊富な資源を持つ柳川市観光の今にスポットをあてる。

滞在時間を伸ばす戦略
 
柳川観光の特徴について市観光まちづくり課の椛島(かばしま)謙治係長は「(合併後の新市の)掘割は郊外部も含め940qもある。合併前の旧市でも470qあり全面積の12%も占めていた。掘割が多い水郷のまち。

地域資源を活用し川下りを主体とした観光を展開してきた。その上に北原白秋、檀一雄などの文化人や、柳川鍋、うなぎのせいろ蒸し、有明海の魚介類といった食材などの地域資源も抱えている」と説明する。こうした地域資源の観光への活用を、これまでは民間主導で進めてきた。椛島係長は「柳川市の観光は行政主導ではない。はじまりから民間主導。市は、これまで大きな支援をしてこなかった」と触れる。さらに椛島係長は「観光客数の推移を見ると平成5年に115万人あったものが平成6年で96万人にまでダウン。観光消費額は平成5年の62億円が、翌年の平成6年には53億円まで落ち込んでしまった。渇水による自然現象で川下りができなくなったことが理由。

これに対し川下り業者が独自にPR活動に努めた。その結果、観光客数は120万台、消費額は60億円台にまで、それぞれ復活させることができた」とこれまでの経緯のなかでも民間の力が有効に発揮されてきたことを振り返る。合併新市の石田宝蔵市長は「これまでは(行政は)待ちの姿勢だった。これからは攻めに転じたい」と抱負を述べ、さらに「約1時間の川下りと、うなぎを食べて、他の温泉地などへ行ってしまう通過型観光地を変えていきたい」と語る。宿泊客数の減少について市の椛島係長は「宿泊は課題だ。宿泊体制が弱く、行政も支援してこなかった。

データも下降傾向にある」と打ち明ける。ただ石田市長は「周辺エリアとの差別化が難しい」と指摘、「(宿泊対策をとるのではなく)インフラ整備やソフト対策で観光客に滞在時間を伸ばしてもらう戦略に出ている。『まち歩き』を提案し、市民にはボランティアガイドなどになってもらう。

市民参加で観光のまちづくりを進め、200万人の観光客を呼び込みたい」と改めて抱負を述べた。

掘割埋める計画もあった!

話題となった映画での舟遊びシーンがきっかけ

 
柳川観光の主体である川下りは、昭和29年に映画化された「からたちの花」がきっかけで始まった。
詩人・北原白秋の生涯を描いた同映画の中で、登場人物たちが舟遊びに興ずるシーンが全国的に話題を呼んだ。これを生かそうと柳川商工会議所有志が昭和30年から5隻の舟を建造し川下り事業を実験的に始めた。昭和36年には第1号の川下り会社・柳川観光開発鰍ェ設立され、本格的なビジネスとして展開されることに。

初代社長を父に持ち現在、柳川観光ホテル白柳荘社長の富安武美さんは「父(富安賢吉氏)が商工会議所会頭の時代、商議所メンバーなどが出資して川下り会社を設立した。

父が初代社長。途中から西鉄が資本参加し、宣伝に力を入れてくれるようになり経営が順調になった」と過去を振り返る。この川下りを支え続けてきたものが掘割だ。その掘割には紆余曲折の歴史がある。飲料用としての役割が昭和20年代の上水道供用とともになくなると、掘割を大切に思う市民意識が希薄化する。

掘割はゴミ捨て場と化した。昭和40年代から市主導の浚渫(しゅんせつ)事業が行われたが浄化は進まなかった。昭和52年、市は埋め立て計画(都市下水路としての利用計画も)を決定する。これに対し市職員だった広松傳氏(故人)が地域などに呼び掛け、きっかけとして市民活動が起こり、埋め立て計画は撤回された。市と市民がタイアップした河川浄化事業が昭和53年から5年間実施された。市中心部の掘割60q区間(川下りコース10q含む)を対象に特に汚れのひどかった35q区間が浚渫された(市は毎年2000万円、5カ年間で約1億円を予算化)。

その後も市民による掘割の浄化活動は続けられ、現在も町内会を中心としたボランティアによる維持管理が行われている(年1度の清掃など)。ただ川下りコースの10q区間は観光協会が費用を負担し、事業の一環としてメンテナンスをしている(業者に委託、毎日清掃)。

市の椛島係長は「観光事業をしている川下りコースと、そうでないコースはつながっている。結果的に市民活動は、川下りコースの浄化にも役立っている」と指摘する。

石田市長は「観光のまちづくりを進めたい。(観光基盤である)掘割の水を市民参加できれいにすることが、水郷のイメージを向上させ観光の強化につながる」と主張する。観光のまちづくりが地域コミュニティーの再生、環境保全につながり、同時に観光の強化に結びついていくというのだ。

まちづくり・環境・観光がセットの柳川市。

もともと豊富な地域資源を持つ同市が、新市の行政支援を受けながら、どんな観光地に変貌していくか、今後に注目したい。

投稿者 machizukuri : 更新日2007年02月05日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメント

コメントしてください




保存しますか?