2007年02月

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2007年02月25日

第132号

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「起業家精神」が子どもを育てる!
‘佐賀モデル’小学生から社会人までの一貫した教育

 「お金を稼ぐことの大変さがわかりました。これからはもっと大切におこづかいを使いたいと思いました」―。佐賀県佐賀市にあるNPO法人・鳳雛(ほうすう)塾のキャリア(仕事体験)教育を受けた小学生の言葉だ。
 平成11年に任意組織として発足した鳳雛塾は九州初の民間ビジネス(実務を教える)スクールを展開してきた。社会人・大学生向けの起業家育成を行い、10期を経て280人の卒塾生を輩出、その中から14件のビジネスが誕生している。
 平成14年からは先に示した小学生向けのキャリア教育をスタート。地元商店街などを舞台に子どもが販売実践を行う教育プログラム「キッズマート」を実施してきている。小学生の言葉に象徴されるように体験を経た子どもの成長に、学校、家庭、商店街など地域が目を見張っている。早い段階での社会人教育が地域の担い手づくりに貢献している。鳳雛塾は学校に対する教育支援をサービスとして行っている。佐賀市教育委員会などとの共催で、塾はコーディネート役、具体的指導は教員が担当する。平成17年にNPO法人化した同塾は、これまでの実践による蓄積をカリキュラム(教育課程)と教材という形にし、19年度以降、全国への販売を考えている。ビジネスとしての成立を目指すのだ。
 佐賀から始まった産官学連携による新たな教育へのアプローチ、結果としての地域活性化への試みにスポットを当てる。

地域経営の効率的な手法とは?
CSR(企業の社会的責任)の考え方を生かせ!

 内閣府とまちづくり新聞は1月31日、都内で第16回地域再生まちづくり勉強会を開催した。当日は、元鞄d通社員で地域経営コンサルタントの丹野実氏が「地域経営の効率化を図るコミュニケーションパワーの活用」というテーマで講演した。その内容から。
 地域経営とは何か?「地域価値の向上と再生産を目指した活動のプロセス」と定義付けている。持続可能な地域経済の発展、安全・安心な地域社会の実現、多様な地域文化の育成と継承、を目標としたい。収入増(売上アップ)と、支出減(コスト削減)をバランスよく実現することが経営の基本。その上に現在、企業経営ではCSR(企業の社会的責任)が求められている。売上だけではなく、社会・環境に対する責任も要求されている。地域経営も同じことだ。

富山市、青森市に続け!
ポイントは、過去・現状分析に基づく計画、地域の熱意

 まちづくり3法見直しを受け国は「選択と集中」で中心市街地活性化を支援する。条件は、国による基本計画(地方自治体が作成する)の認定。内閣官房中心市街地活性化本部事務局(以下、中活本部)の嘉村潤・参事官に、計画認定上のポイントなどについてインタビューした。

 ―「中心市街地活性化」(以下、中活)への地域の取り組み状況から、お話願いたい。
18年12月20日、富山市、同年12月22日、青森市が、それぞれ作成した基本計画を国へ申請、19年2月8日、両市の計画は認定された。(中活本部に)相談にきている自治体は富山・青森市以外に30ほどある。人口規模を見ると1万人以下から、100万人以上まで様々だ。

中心市街地活性化基本計画の作成手法
青森市のノウハウを生かせ!

 青森市都市整備部の山田進次長と青森商工会議所の中村隆昭新幹線・まちづくり対策部長は「青森市中心市街地活性化基本計画の策定について」というテーマで講演した。日本商工会議所と法政大学が共催で1月26日、東京都内で開催したまちづくり公開セミナーから。

【青森市、山田進次長】
これまでの取り組みを踏まえ中心市街地活性化基本計画を作成、国へ18年12月22日に申請した(2月8日認可)。テーマは旧法(平成10年7月施行の中心市街地整備改善活性化法)上の基本計画と同じで、歩いて暮らすことのできる質の高い生活空間「ウォーカブルタウン(歩きたくなる街の意)の創造」。
対象エリアは116ha(旧法上の計画と同じ)。目標期間は平成23年まで。@街の楽しみづくりA交流街づくりB街ぐらしC商業の活性化―の4点を活性化の目標に定めた。

280人の卒塾生、14件のビジネスが誕生

NPO法人・鳳雛塾の取り組み(佐賀県)

 社会人・大学生向けのビジネススクールを展開してきた鳳雛塾は平成14年から小学生向けのキャリア教育を始めた。以前から投げ掛けてあった佐賀市からの要請が背景にあった。「キッズマート」という販売実践教育プログラムは、商売の基本学習から始まり、地域とのつながりなどを体験できるものになっている(図)。1クラス8人程度が1グループになり、市場調査から始め、店の商品内容を定め、具体的に決められた金額内で商品を仕入れる。金額は上限1万5000円程度とし銀行からの借り入れを想定。そして、販売価格を決め、(地元マスコミの協力を得て)広報活動をし、商店街などで出店を3時間程度開く。1日3時間だけの体験のために約半年間かけ準備をする。商店街・マスコミ・企業などとの調整を自ら行うことで、社会を実体験し起業家精神を養いながら、人間としての基礎的な力を身に付けるのだ。


苦しい組織運営

20年度以降、教育プログラムを全国へ販売

 NPO法人鳳雛塾の横尾敏史事務局長(佐賀銀行から出向)は説明する。「1万5000円を使い利益は5000円程度になる。8人で分ければ1人500円余にしかならない。その結果、家で500円のおこづかいをもらい、すぐゲームなどに使ってしまっていた子どもの価値観が変わる。おかあさんと買い物に行き商品の値段を注意するようになる。算数・理科などを教えられない、おとうさんが社会についての先生になれる。家庭内が融和され、その上、あいさつがしっかりできるようになるなど、マナーが良くなる。社会とのつながりを体験して初めて人間力が身につく」

 この取り組みを経済産業省九州経済産業局が評価。鳳雛塾は同局の事業(高等学校における起業家教育普及事業)を導入して平成16年度から高校生を対象としたキャリア教育も始めた。高校生はニーズ調査を経た新商品開発までを行う。平成17年度からは経産省が始めた「地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェクト」(※)を受託、中学生も加え(中学生は地元企業の職場体験)、小・中・高校生を対象とした事業として展開している。「プロジェクト」を契機に鳳雛塾は17年6月にNPO法人化、NPOとして委託を受けた。事業期間は19年度までの3カ年。

 事業の中で鳳雛塾は、佐賀モデルを全国展開できるように、カリキュラム・教材の作成を進めつつある。事業費は17年度1200万円、18年度1250万円(19年度は申請準備中)。人件費、映像教材などの作成費などに活用している。

 横尾事務局長は「NPOスタッフは私と、もう1人の2人。私の人件費は銀行から出ている。教材作成のための専門である、もう1人の人件費は国からの委託費で賄っている。小・中・高校生向けのキャリア教育は完全なサービス。厳しい財政状況にあるということで学校から対価はいただいていない。佐賀県・市からの一部補助金はあるものの、基本的な運営費は賛助会員である企業に見てもらっている。国の受託事業が終わる20年度以降は、教育プログラムを全国へ販売することなどにより収入を得たい」と述べ、苦しい実情を打ち明ける。

 横尾局長は「学校などから、どんどんオファー(依頼)が来るが、組織が脆弱で対応しきれない。まずは資金面でクリアすることが1番。もともと支援していただいていた6団体も含め現在9社・団体が賛助会員。当面は会員を増やすことがテーマだ」と課題について語る。

 「地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェクト」
経済産業省が17年度創設。19年度までの3カ年事業。地域に根ざしたキャリア(仕事体験)教育の推進をテーマとする。学校と企業を結ぶ鳳雛塾のような民間コーディネーターを事業委託対象とする。全国でモデルを17年度(予算3・4億円)25カ所、18年度(同4・4億円)29カ所、それぞれ選出。19年度(予算4億円)は未定で、これから選出する。


産官学連携で寄付講座開設 一般向けのビジネススクールも

キャリア教育の受講生は2000人以上に
 
 平成7年、佐賀県、佐賀大学、佐賀銀行各代表の意見交換の中からベンチャー起業支援の話が起こる。具体的に3者が資金を捻出し寄付講座を開設することになった。最終的に9900万円が集まった。寄付講座は大学生向け。
 産業界など一般向けにも勉強会を開こうと鳳雛塾の前身である平成弘道館(弘道館は佐賀藩校、ここから大隈重信などが輩出された)を開講する。直接国立大学への寄付ができないため運営は県からの寄付を受けるために設立されたSAGAベンチャービジネス協議会が担当。
 事務局を佐賀銀行が受け持ち横尾さんが担当となった。平成11年、横尾さんが知り合い意気投合した飯盛(いさがい)義徳さんを寄付講座の講師に迎えた(当時、佐賀大学客員助教授)。同時に飯盛氏の協力を得て、弘道館を鳳雛塾に組織を改め、一般向けのビジネススクールとしてスタートする。

 いまはNPO法人鳳雛塾副理事長で慶応大学環境情報学部専任講師の立場にある飯盛氏は同大学ビジネススクールを卒業し民間ベースの組織(ビジネススクール)をつくりたいと考えていた。鳳雛塾は飯盛氏の考え方を取り入れ、ケースメソッド(実際ある企業事例)をもとに生徒がディスカッションしながら学んでいく形をとっている。
 立ち上げからの運営費は協議会の構成母体である6団体からの出資で賄うことに。6団体は、佐賀銀行、佐賀ベンチャーキャピタル(佐賀銀行の関連会社)、�佐賀県地域産業支援センター、佐賀県商工会連合会、佐賀県商工会議所連合会、佐賀県中小企業団体中央会。1団体から毎年5万円ずつ、合計30万円を受け取っている。

 ベンチャービジネス協議会を発展させNPO法人鳳雛塾となった現在は、ここに会員企業からの賛助会費と個人会員会費が加わる。同塾は現在11期目で20人の塾生を抱える。10期目までの卒塾生は280人。ここから誕生したビジネスは14件にもなるという(表)。地域への産業・雇用創出の役割も担っているのだ。
 9900万円の寄付により始まった佐賀大学内の講座は5年間で終了。しかし鳳雛塾は、社会人・大学生向けのビジネススクールと、小・中・高校生向けのキャリア教育を続け、全国的な注目を集めるようになっている。同教育を受けた小・中・高校生は、これまで延べ2371人にもなる(小学生970人、中学生958人、高校生443人)。

 NPOの横尾事務局長は「佐賀県には『もやい』という言葉がある。みんなで協力し合う意味。そのDNAが鳳雛塾に生かされている。こうした取り組みが評価され2003年日経地域情報化大賞を受けることができた。受賞者の交流の中から富山市や(神奈川県)藤沢市へも同じキャリア教育の仕組みが広がることになった。鳳雛塾の活動は第1ステージが、社会人向けなどのビジネススクール。第2ステージが小・中・高校生向けのキャリア教育。現在、主体となる活動は、この2つだ」と経緯を述べ「学校と産業・企業をつなげ起業家精神をキーワードにキャリア教育などを実践してきた。子ども達を育てたいという思いが原動力。結果として地域の担い手となる子どもが成長し喜ばれている。小学生から社会人までの一貫した起業家(精神の養成)教育をしているのは、ここだけではないか。これが佐賀モデルだ」と締めくくった。

投稿者 machizukuri : 更新日2007年02月25日 | コメント (0)

2007年02月15日

第131号

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夕張市に紹介したい「村」
再建の厳しさなんて笑い飛ばせ

「おいしいメロン」のイメージから、一夜にして「悲惨な自治体」のイメージへと転落した北海道夕張市。その要因は、かつての主要産業だった炭鉱の閉鎖、その後の、採算が合わない観光施設整備への過剰な投資など、さまざま挙げられる。法の下で財政を立て直すとはいえ、住民への負担を重くすることは、地域の活力そのものを失わせる。地域から出て行く人がいても、そこへ移り住もうとする人は少ない。しかし、全国には財政破綻しても、「人の誘致」「企業の誘致」に成功している自治体もある。福島県泉崎村がそれだ。首長、行政マン自らが知恵をしぼり、汗をかいて、住民が住みやすい地域にするため、立て直しを進めている。

P F I 事業、年々増加
大使館や空港、刑務所まで 内閣府が初の年次報告書

 内閣府はこのほど、PFI事業※の実施状況や課題について初めてまとめた年次報告書「PFIアニュアルレポート」を公表した。それによると、国内におけるPFI事業の実施状況は、平成11年のPFI法の成立・施行以降、年々増加し、平成17年度末までに、実施方針を公表済みのものだけでも228件、事業費も約1・8兆円になっていることがわかった。近年は40〜50件の事業数の増加が見られ、運営段階に至っている事業も93件に達している。事業実施主体の内訳は、国などが57件、地方公共団体が173件。

『東京駅周辺防災隣組』らが主催
おいしい防災訓練

阪神淡路大震災から12年目となる1月17日、東京都千代田区では、区と地元企業らで組織する「東京駅周辺防災隣組」が合同で、帰宅困難者避難訓練を実施。外国人を含む延べ2000人が参加し、歩いて帰宅するための訓練や、救出訓練、仮設トイレの組み立て、非常食の試食会などを体験した。

知恵とインターネット活用で

100人超の移住者

 平成12年に夕張市と同様に、財政破綻した福島県泉崎村。同村では、職員、有志らが知恵を絞り、さらにインターネットを活用することで、ほとんど予算をかけずに村をPRし、自力での財政再建を進めている。財政破綻後、ここに移り住んだ人は100人を超える。村のホームページから伝わってくるのは、厳しい財政状況ではなく、明るく希望に溢れる村のイメージだ。
泉崎村の人口は夕張市(1万4700人)の半分以下の6800人。日本経済がバブルの波に洗われ始めた1980年代前半に「日本一の村づくり」を提唱し、工業団地と住宅団地の造成・販売を進めてきた。が、バブル崩壊後は低迷。土地の売れ残りに加え、約20億円にのぼる未払い工事代金によって約68億2600万円もの赤字を背負いこむことになってしまった。一般会計規模は当時、約39億円。その2倍近くの負債を抱えたことになる。
こうした中、平成12年に新たに村長に就任した小林日出夫氏はじめ、職員、村民、有志らが立ち上がった。村は、国の管理下で財政を立て直すのではなく、自力での再建を決意したのだ。財政再建には、国の管理下に入る方法と、自力で立ち直る方法の2つがある。国の管理下ならば、国からの利子補給など優遇措置もあり、確実に再建の目的を達成しうるメリットがあるが、独自の事業は規制される。自主再建の場合は、地方債の発行が認められなくなるほか、国の財政措置も全く受けられなくなる。それでも同村では「財政再建となれば、イメージが悪くなり、土地が売れなくなる。土地を売らなければ、村の赤字は解消できない」(小林日出夫村長)との理由で、自力での再生に挑んだ。
再生への突破口の1つとして目をつけたのは、インターネットの活用だった。ネットで村のファンをつくり、村が造成した住宅団地「天王台ニュータウン」の区画を購入してもらおうという戦略だ。
仕掛け人の1人、有限会社販売企画研究所(郡山市)の東山雅広代表取締役は「限られた予算の中で泉崎村のファンをつくるにはホームページが最適な手段だと思った」と振り返る。当時はまだ「地域ポータルサイト」という言葉すら浸透していない時期である。
ホームページのタイトルは『わっはっは!泉崎村』。東山氏は「しょげた顔をしていたら、誰も手を貸してくれないんですよ。厳しい状況を笑い飛ばし、明るく前向きなまちづくりに取り組んでいる姿勢をPRしたかったのです」と話す。タイトルの文字は、泉崎に数年前に移住してきた書道の先生に依頼して書いてもらった。「ヨソ者でありながら、村の温かさを知る、そんな雰囲気を伝えてほしかった」(同)からだ。

ネットから現場へ、リピーターから居住者へ

泉崎村の土地販売戦略

泉崎村のネット戦略は、まずホームページ上で村の魅力をPRし、関心を持った人に「e村民」になってもらうことから始まる。e村民とは、税金など費用負担が一切ない、ネット上における村民のこと。登録すれば、村内の公共施設やレジャー施設を、村民より安い「e村民会員割引」で利用できるメリットがある。

さらに、e村民の交流会を年に数回、仕掛けることで、実際に村を訪れる機会を繰り返し提供している。一度でも来てもらえば、次は、リピーターになってもらうよう仕掛け、最終的には土地を購入してもらうという流れだ。

「e村民」制度を企画した(有)販売企画研究所の東山雅広代表取締役によると、現在、e村民の登録者は、2247人。交流会はすでに30回程度、開いており、毎回40〜50人が参加している。初めて泉崎村を訪れた人の多くが、第一声に「東京からこんなに近いんだ」と口にするという。新幹線の新白河駅から泉崎駅までは、わずか10分。その近さを、実際に足を運んでもらうことで、初めて認識してもらえるのだ。

村を訪れてもらった人には、地域資源である温泉を楽しんでもらうとともに、交流会で、村民の温かいもてなしを受けてもらう。まさに、行政、住民が一丸となった取り組みである。もう1つ、交流会の開催には、仕掛けが隠されている。東山氏は、イベントのたびに、地元メディアなどにニュースリリースとして情報発信をしている。お金をかけずに、少しでも人を集めるための工夫だ。

県の補助金も活用
 
交流会の主催者は、東山氏でもなければ、行政でもない。複数の地元団体が「e村民交流会実行委員会」を組織している。その理由は、より多くの住民に参加してもらうためだが、もう1つ、県の支援策を活用する手段としての目的ある。福島県では「地域づくりサポート事業」といって、地域間交流や地域PRなどに助成する支援事業がある。こうした県の事業を活用することで、財政的な負担を抑えているのだ。

「e村民」のうち何人が、土地を購入したかというデータは、残念ながらない。少なくても東山氏が把握するだけで数組はいる。区画全体では、これまで販売できた約110区画のうち、村民が購入したのは8区画にとどまり、残りは、すべて村外からの移住者。こうした状況を考えれば「インターネットの効果があることは間違いない」だろう。もちろん、インターネットで流す「情報」そのものに工夫があることが前提だ。

最大のヒットは、行政職員が考えた通勤奨励金制度。村の分譲地300u以上を購入し、そこから鉄道で通勤する人に3年間で最大300万円を助成するというもの。この大胆なIターン支援策は、ネットだけにとどまらず、マスコミ各社に大きく取り上げられ区画販売数を一気に押し上げた。実のところ、300万円を助成したのは今のところ、たった1人。村にしてみれば、この300万円で、数億円もの売り上げを稼ぎ出したとも言える。

住民を守る決意があった
 
財政再建に向けた取り組み当初から、村と関わっている東山氏は、「最初からリーダー(首長)と職員に、絶対にやれるという決意があった」と振り返る。村は、土地販売に加え、徹底した経費削減で、住民負担を一切上げることなく、行政サービスの低下も回避しながら再建を進めている。行政職員が、自らシャベルをもって、道の修繕を行うことも珍しくないという。

今の夕張市が非常に厳しい状況であることは誰もがわかる。が、テレビ画面を通じて伝わってくる市長および、行政マンの表情からは「必ず立て直してみせる」という気迫は伝わってこない。悲惨さをPRしても人は集まらない。今一度、地域の魅力を行政が率先してPRすべきではないか。

全国から寄付を集める方法
 

夕張市に紹介したい2つ目の事例が寄付集めだ。実は、市民から寄付を集めている自治体はめずらしくない。長野県泰阜村、同王滝村、北海道ニセコ町、同松前町、同沼田町、同羅臼町、岩手県葛巻町、秋田県小坂町、岡山県新庄村など16自治体が「寄付による投票条例」を制定している。このうち、長野県泰阜村は、条例制定から、わずか2年半余で1500万円もの寄付金が全国から集まった。「投票」とあるのは、寄付金の使い道を1つの事業に決め付けるのではなく、寄付者が自分の出したお金について、何のために使ってほしいか複数の事業の中から選べるようにしてあるため。提唱者は、寄付市場協会の渡辺清会長。

同氏は「寄付による投票条例は、本来的には寄付者が複数のメニューの中から希望する政策メニューを選択して、その政策に社会投資することでまちづくりを推進するもので、財政破綻を救うものではない。しかし、夕張市の基本的な社会サービスが著しく低下するものとなれば、震災被害の時のように『困った時には助け合う』という民意が働いて、全国から寄付が集まる可能性が高いだろう。ただ、長続きさせるためには、寄付を具体的に何に使って、どんな効果を上げたのか、説明責任を果たす必要がある」と語る。渡辺氏はまた、マスコミ各社の注目が夕張市に集まる中、間接的ではあるが条例制定のPR効果は高いと推測する。

正当性と持続力

欧米の寄付集め(ファンドレイジング)に詳しいNPO法人シーズ・市民活動を守る会の松原明事務局長は「寄付金の使い方の正当性と持続力がポイントになる」とする。「行政のために使うのでは誰も納得しない。自分のお金が市民のために使われ、それにより市民の皆が頑張っている再建のドラマを見えるようにする仕組みが大切」(同)。

福島県泉崎村とも共通することだが、暗くふさぎこんでいたら誰も手を貸してくれない。行政は頑張る市民の声を全国へ発信し、その住民のためにどんな覚悟もある姿勢を示すことが求められているのではないか。

投稿者 machizukuri : 更新日2007年02月15日 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月05日

第130号

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川下りを主体に120万人の観光客 福岡県柳川市(人口7万人)
観光とまちづくりはつながっている!

福岡県柳川市の観光資源は長い掘割(ほりわり、水路)。
ここを活用した川下りを主体に年間120万人もの観光客が訪れる。これまでは民間主導で観光産業が起こり展開がされてきた。柳川市の観光は民活による成功事例の1つといえる。掘割をめぐる紆余曲折の歴史には、埋め立て計画、それを翻した住民参加による浄化活動があった。
市民が地域資源を守り、それが観光につながってきた。市民参加による掘割の水の浄化活動が、環境を保全し、地域コミュニティーを再生してきた。
同時に水郷のまちのイメージを向上させ、観光強化にも結びついてきたのだ。ただ観光地として宿泊客数が減少傾向にあるという課題もある。合併後の新市は観光に対し新たな戦略を練り攻めの姿勢を示す。掘割、北原白秋(詩人)、有明海の食材といった豊富な資源を持つ柳川市観光の今にスポットをあてる。

宿泊客数はピーク10万人から下降傾向
年間消費額は60億円に

 柳川観光の特徴について市観光まちづくり課の椛島(かばしま)謙治係長は「(合併後の新市の)掘割は郊外部も含め940qもある。合併前の旧市でも470qあり全面積の12%も占めていた。掘割が多い水郷のまち。地域資源を活用し川下りを主体とした観光を展開してきた。その上に北原白秋、檀一雄などの文化人や、柳川鍋、うなぎのせいろ蒸し、有明海の魚介類といった食材などの地域資源も抱えている」と説明する。

ターゲットは「博物館」・「団塊」・「外国人」
年間120万人の観光客を200万人へ

全国各地が観光戦略をテーマとしている。しかし地域資源を活用した展開ができないでいる。柳川市は(地域資源の)掘割(水路)を生かした川下り観光が著名、しかも観光客数も順調に伸びている。市長の観光に対する思いから、お話願いたい。

指定管理者制度に新たな課題
「モニタリング・評価」はわずか1割

 公の施設の管理・運営を民間企業に開放する「指定管理者制度」について、地方自治体の約9割が、民間企業への委託後のモニタリング・評価を必要と考えているのに対し、実際に、モニタリング・評価の実施手順、評価基準などの指針を作成しているのは約1割にとどまることが、みずほ情報総研の調べで分かった。アンケートは昨年7月に1909自治体を対象に行ったもので、1064自治体から回答を得た。

観光とまちづくりはつながっている!

川下りを主体に120万人の観光客 福岡県柳川市(人口7万人)

 福岡県柳川市の観光資源は長い掘割(ほりわり、水路)。ここを活用した川下りを主体に年間120万人もの観光客が訪れる。これまでは民間主導で観光産業が起こり展開がされてきた。柳川市の観光は民活による成功事例の1つといえる。掘割をめぐる紆余曲折の歴史には、埋め立て計画、それを翻した住民参加による浄化活動があった。市民が地域資源を守り、それが観光につながってきた。市民参加による掘割の水の浄化活動が、環境を保全し、地域コミュニティーを再生してきた。同時に水郷のまちのイメージを向上させ、観光強化にも結びついてきたのだ。ただ観光地として宿泊客数が減少傾向にあるという課題もある。合併後の新市は観光に対し新たな戦略を練り攻めの姿勢を示す。掘割、北原白秋(詩人)、有明海の食材といった豊富な資源を持つ柳川市観光の今にスポットをあてる。

滞在時間を伸ばす戦略
 
柳川観光の特徴について市観光まちづくり課の椛島(かばしま)謙治係長は「(合併後の新市の)掘割は郊外部も含め940qもある。合併前の旧市でも470qあり全面積の12%も占めていた。掘割が多い水郷のまち。

地域資源を活用し川下りを主体とした観光を展開してきた。その上に北原白秋、檀一雄などの文化人や、柳川鍋、うなぎのせいろ蒸し、有明海の魚介類といった食材などの地域資源も抱えている」と説明する。こうした地域資源の観光への活用を、これまでは民間主導で進めてきた。椛島係長は「柳川市の観光は行政主導ではない。はじまりから民間主導。市は、これまで大きな支援をしてこなかった」と触れる。さらに椛島係長は「観光客数の推移を見ると平成5年に115万人あったものが平成6年で96万人にまでダウン。観光消費額は平成5年の62億円が、翌年の平成6年には53億円まで落ち込んでしまった。渇水による自然現象で川下りができなくなったことが理由。

これに対し川下り業者が独自にPR活動に努めた。その結果、観光客数は120万台、消費額は60億円台にまで、それぞれ復活させることができた」とこれまでの経緯のなかでも民間の力が有効に発揮されてきたことを振り返る。合併新市の石田宝蔵市長は「これまでは(行政は)待ちの姿勢だった。これからは攻めに転じたい」と抱負を述べ、さらに「約1時間の川下りと、うなぎを食べて、他の温泉地などへ行ってしまう通過型観光地を変えていきたい」と語る。宿泊客数の減少について市の椛島係長は「宿泊は課題だ。宿泊体制が弱く、行政も支援してこなかった。

データも下降傾向にある」と打ち明ける。ただ石田市長は「周辺エリアとの差別化が難しい」と指摘、「(宿泊対策をとるのではなく)インフラ整備やソフト対策で観光客に滞在時間を伸ばしてもらう戦略に出ている。『まち歩き』を提案し、市民にはボランティアガイドなどになってもらう。

市民参加で観光のまちづくりを進め、200万人の観光客を呼び込みたい」と改めて抱負を述べた。

掘割埋める計画もあった!

話題となった映画での舟遊びシーンがきっかけ

 
柳川観光の主体である川下りは、昭和29年に映画化された「からたちの花」がきっかけで始まった。
詩人・北原白秋の生涯を描いた同映画の中で、登場人物たちが舟遊びに興ずるシーンが全国的に話題を呼んだ。これを生かそうと柳川商工会議所有志が昭和30年から5隻の舟を建造し川下り事業を実験的に始めた。昭和36年には第1号の川下り会社・柳川観光開発鰍ェ設立され、本格的なビジネスとして展開されることに。

初代社長を父に持ち現在、柳川観光ホテル白柳荘社長の富安武美さんは「父(富安賢吉氏)が商工会議所会頭の時代、商議所メンバーなどが出資して川下り会社を設立した。

父が初代社長。途中から西鉄が資本参加し、宣伝に力を入れてくれるようになり経営が順調になった」と過去を振り返る。この川下りを支え続けてきたものが掘割だ。その掘割には紆余曲折の歴史がある。飲料用としての役割が昭和20年代の上水道供用とともになくなると、掘割を大切に思う市民意識が希薄化する。

掘割はゴミ捨て場と化した。昭和40年代から市主導の浚渫(しゅんせつ)事業が行われたが浄化は進まなかった。昭和52年、市は埋め立て計画(都市下水路としての利用計画も)を決定する。これに対し市職員だった広松傳氏(故人)が地域などに呼び掛け、きっかけとして市民活動が起こり、埋め立て計画は撤回された。市と市民がタイアップした河川浄化事業が昭和53年から5年間実施された。市中心部の掘割60q区間(川下りコース10q含む)を対象に特に汚れのひどかった35q区間が浚渫された(市は毎年2000万円、5カ年間で約1億円を予算化)。

その後も市民による掘割の浄化活動は続けられ、現在も町内会を中心としたボランティアによる維持管理が行われている(年1度の清掃など)。ただ川下りコースの10q区間は観光協会が費用を負担し、事業の一環としてメンテナンスをしている(業者に委託、毎日清掃)。

市の椛島係長は「観光事業をしている川下りコースと、そうでないコースはつながっている。結果的に市民活動は、川下りコースの浄化にも役立っている」と指摘する。

石田市長は「観光のまちづくりを進めたい。(観光基盤である)掘割の水を市民参加できれいにすることが、水郷のイメージを向上させ観光の強化につながる」と主張する。観光のまちづくりが地域コミュニティーの再生、環境保全につながり、同時に観光の強化に結びついていくというのだ。

まちづくり・環境・観光がセットの柳川市。

もともと豊富な地域資源を持つ同市が、新市の行政支援を受けながら、どんな観光地に変貌していくか、今後に注目したい。

投稿者 machizukuri : 更新日2007年02月05日 | コメント (0) | トラックバック