2006年02朁Ed日
車中の酒

高崎線と東海道線を直通でつないでいる湘南新宿ラインで、ぼくは週に4回、埼玉県の桶川市と東京の池袋を往復している。ぼくが店に向かうのは夕方で、通勤ラッシュとは逆方向だし、乗客がわりに少ないうしろのほうの車両に乗るから、座席にありつけないことはまずない。
通勤ラッシュとは逆方向と書いたが、それでも、勤めの帰りらしい人がいないわけではない。そして、車両で一杯やっている人が、けっこう多い。ひとりで、つまみの袋を片手に、缶ビールやワインカップ型の日本酒を、いかにも幸せそうに飲んでいる人もいるし、2、3人で楽しそうに喋りながら、チューハイのたぐいを飲んでいる人たちもいる。
この時間帯の上り列車では、そもそも典型的なホワイトカラー族をあまり見かけないのだが、それにしても、車内で飲んでいる人たちの多くは、古い言い方を使えば、ブルーカラーのおじさんたちだ。
こんなタイプのおじさんたちが、気軽に飲めた居酒屋を、いまは若いサラリーマンやOL、それに学生たちが占領してしまったからかなと、そんなふうにも思うが、そんなこと以上に、車中で飲む酒はとにかく楽しい。
で、ぼくも実行することにした。店に出る前に飲むのはまずいから、帰りの車中や、それもグリーン料金の安い日曜日に決めた。日曜日の下りのグリーン車はすいていて、ふたり掛けのシートをひとりで使える。駅に向かう途中、コンビニで酒とサンドイッチを買って、グリーン車に乗る。週に一度のぜい沢だ。
店にときどききてくれるある有名大学の若い助教授くんに、この話をしたら。すぐに明るい反応があった。
「ぼくも飲みますよ・ちょっと長い時間乗るときは、必ず飲みます。東京からの列車は、東海道新幹線は別だけど、地下から出て、地上に出るまでに時間のかかるのが多いでしょう。不思議なことに、トンネルをぬけるまでは、酒をあけずに待つんですよ。外が見えるようになってから、あける。ぼくだけじゃなくて、同僚や学生といっしょのときも、みんなそうです」
言われてみると、われわれ日本人には、なにかと眺めながら飲むのを好む習慣があるようだ。湘南新宿ラインは、池袋を出るときから外が見えるので、列車が動き出すと、ぼくはさっさと飲み物の栓をあけ、サンドイッチの封を切るが、眼はほとんど窓の外を見ている。本や雑誌が手もとにあっても、まず開かない。週に4回往復しているのだから、景色はもう見慣れているのだが、それでもやはり、窓外を流れる風景に40分ほどのあいだ、ずっと眼をやっている。
なにかを眺めながら飲むのがすきなのは、日本人の特性なのかどうか、ぼくにはわからないけれど、考えてみれば、花見酒、月見酒、雪見酒といった風流な飲み方は、ぼくのせまい知識の範囲で、欧米にはないようだ。
投稿者machizukuri : 2006年02朁Ed日 | コメント(0) | トラックバック
2006年01朁Ed日
まる氷の謎A

まる氷にこだわるバーテンダーのなかに、氷を表面積がもっとも小さくなる球形にしておけば、それだけ氷が溶けにくいから「ロック」の中身が水っぽくなるのを防げると力説するひともいる―こんなところまでを前回に書いた。
だが、この論にはやはり無理がある。
氷が完全な球形なら、たしかに表面積は最小だろう。でも、完全な球形に近づけるのも大変だろうし、開店前に作ったまる氷を冷凍庫に入れておけば、表面の水があらためて凍るから、けっこう複雑な表面のものになりそうだ。それに、氷の溶け具合を、そんなに心配する必要はないと思う。
オン・ザ・ロックスという飲み方は、たぶん、ウイスキーのようなアルコール度数の高い酒を、手っとり早く冷やすことで、口あたりを優しくするのが目的なのだろう。多少無責任な断定だが、ウイスキーでもブランデーでも、熟成に時間と手間をたっぷりかけた高級品のための飲み方ではなくて、アルコールの刺激が強い安い酒のために生まれてきた方法だろうと、ぼくは考えている。少なくとも、中身を水っぽくするための手段ではないはずだ。
だから、オン・ザ・ロックスと呼ばれる飲みものは、中身が冷えたところで、あまり水っぽくなってしまうまえに飲んでしまうのが、まともな飲み方なのだろう。水っぽいのが飲みたければ、最初から水割りを注文すればいい。水割りの濃さは、好みを言えば、バーテンダーが水と氷の量をちゃんと加減してくれる。
東京の池袋のはずれで、ぼくがやっている小さなバーでは、呼び名の複数形にしたがって、グラスをゆすれば軽い音が出るように、適当な大きさに割った氷を、ふつうは2個使って、オン・ザ・ロックスを作っている。ありがたいことに客たちは、たいていがまともな飲み方をしてくれるけど、たまには、一杯のオン・ザ・ロックスに30分以上も時間をかけて、氷がほとんど溶けてしまい、グラスの底に、豆粒くらいになった氷とわずかな水が残っているだけの段階まで、チビチビとすすりつづける客もいる。こういうタイプは、バーテンダーの立場から見ても、同じカウンターに並ぶ客の立場で見ても、相当にみっともない。
オン・ザ・ロックスをまともに飲むのなら、わざわざ氷を丸くする必然性なんて、まるでないのだ。
オン・ザ・ロックスには、これはおそらく、最初から計算されていたことではなくて、ただの副産物だと思うのだが、もうひとつ軽視できないものに、音がある。氷と氷、あるいは氷とグラスがぶつかるときに出る音、あの音を、ぼくはかなり大切にしている。ロックを飲むとき、ちょっとグラスをゆすってあの音に耳を傾けるのは、けっこう楽しい。
その音で、ぼくがときたま思い出すのは、だいぶ前に、まだ若かったのに亡くなった俳優の松田優作が、グラスを軽くゆすって、乾いたいい音をたてるシーンだ。
劇場用の映画だったか、テレビ映画だったか、タイトルもストーリーも忘れてしまったが、自分の部屋でひとりで飲むシーンもあったし、バーのカウンターにひじをついて飲むシーンもあったと、ぼんやり記憶している。
ともかく、いい音だった。あれはきっと、オン・ザ・ロックスの好きな監督が、アフレコで入れたものだったのだろう。
まる氷では、すてきなこの音を楽しむことができない。
まる氷がいくらか溶けて、中身も少なくなったところで、一気に飲んでしまおうと、グラスをいきおいよく傾けたら、氷が転がり出て、鼻にぶつかりそうになったりもする。ぼくの知人には、じっさいに氷が鼻にぶつかったという男が、かなりいた。ひとりは、まる氷を使うような店は、基本的に避けると宣言していたが、もうひとりには、バーテンダーがまる氷を使いそうになったら、遠慮せずに声をかけて、ふつうのかちわりを使わせればすむことだと教えてやった。
まる氷で、気になるというよりも、はっきり不快感をおぼえることがある。客がおかわりを注文したときに、氷がある程度の大きさを保っていると、客にことわりもせず、氷をそのままにウイスキーなんかをついでしまうバーテンダーを見かけたときだ。
手間をかけたまる氷なんだから、おかわりのたびに新しいのは使えないということなのだろう。その気持ちはわからないではないが、氷の二度使いはしないのが、バーのいいところなんだぜと、ひと言口をはさみたい衝動に駆られる。
ぼくがときどき寄るバーでは、ぼくのまる氷嫌いを知っているから、ぼくがたまにバーボンのロックなんかを注文すると、バーテンダーは間違いなく、まともなオン・ザ・ロックスを作ってくれる。
しかし、はじめて入ってみた店では、バーテンダーがグラスにさっさとまる氷を入れようとする場合が多い。そんなとき、ぼくはあわてて声をかけ、ふつうのかちわりを使ってほしいと頼む。
年配のバーテンダーには、とたんにうれしそうな表情を浮かべるひとが少なくない。だが、若いバーテンダーのなかには、へんなじじいだなと、明らかにいやな顔を見せるやつもいる。そんな店には、ぼくは二度と足を向けない。
それにしても、あのまる氷、いったいどこの誰が、いつオン・ザ・ロックスに使い出したのだろう?
投稿者machizukuri : 2006年01朁Ed日 | コメント(0) | トラックバック
2005年12朁Ed日
まる氷の謎@

オン・ザ・ロックスという飲み物には、オールドファッションド・グラスを使う。
こんな当たり前のことを、ここでわざわざ書いたのは、最近、オールドファッションド・グラスという呼び方が、ほとんど消えてしまったからだ。お客もバーテンダーも、みんな「ロック・グラス」と呼んでいる。そもそも、オン・ザ・ロックスという呼称自体、めったに使われない。だれもが、単に「ロック」と呼ぶ。
多くの文化要素と同じように、言語も時代とともに、ある程度は変化する。ぼくが「カタカナ外来語」と呼んでいる言葉には、この傾向がとくに強いようだ。
だから、オールドファッションド・グラスのような長ったらしい呼び方が「ロック・グラス」に変わり、やはり長ったらしいオン・ザ・ロックスがただの「ロック」になっても、べつに文句をいうつもりはない。日本の性の文化のなかで、クリトリスが「クリちゃん」に変わり、フェラチオが「フェラ」や「おフェラ」に変容しても、文句は言わない。だが、オン・ザ・ロックスが、本来持っている複数形の感覚がただの「ロック」ではまるっきり消えてしまうので、こんなケースはちょっと気になる。
オン・ザ・ロックスに関して、それが「ロック」に変わってしまったこと以上に、何年も前から、どうにも気になってしかたないのは、そのロックに「まる氷」と呼ばれているボール状の氷が使われることだ。
日本のバーで、もっと正確にいえば日本のバーだけで、まる氷が使われるようになったのがいつごろからなのか、まだちゃんと調べてはいないのだが、ぼくがどこかのバーでこれに出くわしてから、少なくとも10年にはなると思う。へんなものが出てきたなと思ってたら、まるでルーズソックスの流行みたいに、たいへんなスピードで一般化してしまった。
いまでは、20歳台の若いバーテンダーのなかに、バーテンダー修行の第一歩はまる氷を作ることと、かたく信じ込んでいるのもいるらしい。開店前、あるいは店を開けてからも、まだお客があまりこない早い時間に、せっせとまる氷を作っている見習いらしい若者を見ると、なんだか気の毒になる。
まる氷を作ることで、たしかにアイスピックの使い方には慣れるかもしれない。だが、そんなことについやす余分の時間があれば、グラスや酒びんを磨いたり、酒にかかわりのありそうな書物―エッセイでも、小説でも、専門書でも―に目を通したりするほうが、バーテンダーとしてはもっと大切だろうと、ぼくは思うのだ。
それにしても、まる氷なんてしろものが、なんで流行したのだろう。
まず、見た目のおもしろさというのがありそうだ。オールドファッションド・グラスのなかに、ボール状の氷がすっぽりはまりこんでいる情景に、ある種の軽いおもしろさがあることは、ぼくも否定はしない。だが、それ以上の利点もなさそうだし、むしろマイナス面ばかりが考えられるまる氷を、バーに寄るたびに見せつけられると、いい加減うんざりしてしまう。
まる氷にこだわるバーテンダーのなかには、氷も表面積がもっとも小さくなる球型にしておけば、それだけ氷が溶けにくいから、ロックの中身が水っぽくなるのを防げるんだと主張するやつもいる。
しかし、この論はちょっとおかしいと、ぼくは思う。そのへんのことを、次に書いてみよう。
投稿者machizukuri : 2005年12朁Ed日 | コメント(0) | トラックバック
2005年07朁Ed日
アルプス酵母
日本酒は、ぬる燗で飲むのが好きだ。
暑い季節になると、とりあえずのビールを飲んだあとは、ウィスキーやジンやいも焼酎などの蒸留酒を飲むことが多くなって、そんな酒たちはちゃんと補充するのだが、日本酒の補充がついおろそかになり、この原稿を書きはじめるのに、念のために台所にいってみたら、日本酒は2種類しかなかった。
しかも、2種類のうちのひとつは、料理に使う普通酒で、いま手もとにある晩酌用の日本酒は、純米酒がたった1種類だけということになる。もっとも、気がつけば適当な日本酒がすっかりなくなっているという事態も、とくに珍しくはなくて、そんなときは料理用のを、ありがたくいただくのだから、2種類しかなくても、文句はいえない。
ところで、いま手もとにある2種類の日本酒、その原材料は、それぞれつぎのように表示されている。
まず、普通酒のほうが、「米・米麹・醸造アルコール・糖類」
純米酒のほうは、当然のことだが、醸造アルコールと糖類はなくて、「米・米こうじ」
米麹は、蒸した米に、黄麹と呼ばれるコウジカビの一種の胞子をふりかけて、適当な温度と湿度のもとで繁殖させたものだ。
米と水に、あとは米麹さえあれば日本酒ができると思い込んでいる人は、日本酒党のなかにも意外に多い。たしかに、純米酒のラベルに表示されている原材料を見れば、そう思い込んでも不思議ではないのだろう。
だが、コウジカビの酵素がやってくれるのは、米のデンプンを糖に変える段階までだ。だから、米と水と米麹だけで造れるのは甘酒で、日本酒は造れない。甘酒から日本酒にすすめるためには、糖をアルコールに変える酵素が必要になる。
この酵素を出す酵母は、日本酒を造る蔵から菌を採集して、特定のものを純粋培養して使う。代表的な酵母のひとつ、「協会酵母9号」は熊本県の蔵元から採集・分離されたものだ。酵母のなかには、県が開発したものもあって、よく知られている「アルプス酵母」は、長野県が開発した。
つい「よく知られている」と書いたが、よく知っているのは酒造関係者や、ぼくみたいに好きな酒のことを書きたがる人間だけかもしれない。ぼくの周囲にいる長野県の出身者で、そこそこ酒を飲む連中の何人かにきいてみたが、「アルプス酵母」を知っていたのは、ひとりもいなかった。
酵母そのものを飲むわけではないから、原料に入れてもらえないのかもしれないが、使用酵母の名を表示している例は少ない。長野県の蔵元は、もっと「アルプス酵母」を使って宣伝し、県の名物に育てればいいのにと思うのだが…。
投稿者machizukuri : 2005年07朁Ed日 | コメント(0) | トラックバック
2005年06朁Ed日
★★ベッドタウン★★
東京の池袋のはずれで、ぼくが小さなバーをやっていることは前に書いた。その店の常連客のひとりに、たぶん日本でいちばん有名な、大学の若い助教授くんがいる。
ぼくはもともと、ミステリーの翻訳家兼作家として、物書き稼業に入ったのだが、そのうち、なぜか文化人類学に片足をつっこんで、日本のプロの学者たちがあまり手を出さない酒や食べもの、それにセックスにからむ問題を、ぼくなりに考えてきた。
そこからのなりゆきで、ぼくはいまも、都市の、どちらかといえば裏側の機能に関心を持っている。
うちの常連の助教授くんは、基盤工学……、いまはやりの「インフラ」の専門家で、だからほかにあまり客のいないときには、彼とよく、町の構造や住民の人間関係なんかをネタに、とりとめのないお喋りをする。
このあいだ、彼が何年か前に、東京の郊外の巨大な団地で、住人たちの人間関係について調査したときの話を聞かせてくれた。
その団地では、住民同士の付き合いはきわめて薄いのだが、小さなこどもを育てている専業主婦のあいだだけでは、団地内の公園で子供を遊ばせる機会などが、わずかに付き合いを育てているらしい。それに対して、亭主族のあいだでは、住人同士のつき合いが、ほとんど生まれないというのだ。
前にこのコラムで「酒縁」という言葉を紹介したが、助教授くんにぼくはすぐ、その団地の最寄り駅周辺に、住人同士の「酒縁」が発生するような、バーなりスナックなり、あるいは赤提灯なりは無いのかと訊いてみた。
助教授くんは、そうなんだというようにうなずいて、そんな店はあったとしてもごく少ないし、そもそもこの団地の住民たちは、勤め帰りに飲むにしても、もっと都心よりの繁華街で飲み、最寄りの駅で降りたら、あとはまっすぐに帰るのが大多数なんだと説明してくれた。
おやすみ前の一杯は、たしかに家で飲めばいい。そのほうが余計な金もつかわず、健康的といえなくもない。しかし、週に一度や二度、最寄の駅で降りたあと、近くの赤提灯ででも道草をくって、そこで「酒縁」と「地縁」が合体したような亭主族同士のつき合いが成立したら、団地の住人の中に、いい意味での新しい人間関係ができはしないか。
ぼくのこの意見に、助教授くんも賛成してくれたが、問題は、そんな店がうまく軌道にのるかどうかだ。団地の亭主たちが魅力を感じてくれなければ意味がない。
ぼくがバーの経営者だから言うのではなくて、家庭という「血縁」の場や、「職縁」の延長線ではうまく作動しない機能が、「酒縁」の場ではたぶんうまく働くと思う。
寝るだけの町が、ほんどの町だろうか。
投稿者machizukuri : 2005年06朁Ed日 | コメント(0) | トラックバック
2005年05朁Ed日
「酒縁」という人間関係
人と人とのつながりを論じるときに、文化人類学者はよく、「血縁」「地縁」という言葉を使う。「血縁」は文字通り、親類関係でできる人のつながりであり、「地縁」は同じ土地の人間であることからできるつながりだ。
おなじように、人のつながりを表す言葉として「職縁」を使い出したのは、ぼくの記憶違いでなければ、京都大学の先生だった人類学者の米山俊直さんだ。同じ職場という縁で結ばれる人間関係をさしている。
米山さんが「職縁」という言葉を使い出してまもなく、米山さんやぼくよりももう少し若い世代の、いまは大阪のほうの大学にいる社会学者の高田公理さんが「酒縁」を使いはじめた。
「酒縁」は、大学の先生になる前に、酒場を経営したことのある高田さんが、自身の体験からつくりだした言葉で、同じ酒場の常連同士でできあがる人間関係のことだ。
いまぼくは、東京の池袋のはずれで、小さなバーをやっている。オープンしてちょうど5年になるのだが、この5年間に、お客さん同士がくっついて、正式の夫婦が2組生まれた。「酒縁」が生んだカップルである。
住んでいる場所も職業もまるで違う常連たちの、飲みながらの会話を聞いていると、「酒縁」というものの、意外な奥の深さが感じ取れて、ほんとうにおもしろい。
ところで、ほんのひと月前まで、ぼくは東京の早稲田に住んでいたのだが、30年あまり勤めた近くの専門学校を定年で辞めたので、それを機会に都落ちして、いまは埼玉県の桶川という小さな市の住民だ。
池袋の店はJR高崎線1本で通えるので、さほど不便でもなかろうと、思い切って引っ越した。
そして、すぐに気付いたのが、この桶川には、ぼくが住んでいる駅の西側に関するかぎり、「酒縁」の成立しそうな場がほとんど見当たらないことだった。
駅の西側は、旧中仙道とは反対の、わりに新しくひらけた側で、駅前にはちょっとしたデパートなみの大きなスーパーがあり、その裏手にはかなりの広さにわたって、集合住宅が街をつくっている。
桶川市の人口は、いま7万7000人余だが、きっとその1割以上が、この集合住宅街の住人たちに違いない。
駅のそばには、いわゆるチェーン店のこぎれいな大衆居酒屋が2軒あるが、どちらも家族連れか友だち同士向きの店で、「酒縁」の生まれる場にはとても見えない。
ひとりでふらっと入った店が、妙に気に入って、やがて常連になり、そして「酒縁」の発生というのが、「酒縁」ができるふつうのプロセスのはずで、そんな場が見あたらないのは、町の構造のちょっとした欠陥ではないかと、ぼくにはそう思えてならない。

投稿者machizukuri : 2005年05朁Ed日 | コメント(0) | トラックバック