リレー連載第1弾!消え行く日本文化 http://machizukuri.info/blog/series/ shinkenまちづくり新聞WEB版 作家・山下諭一氏による食と遊びの文化学 ja 2006-09-28T15:03:06+09:00 タレとツメ http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat72/index.html#000970 tako.jpg

 東京の池袋のはずれで、ぼくが小さなバーのマスターをやっていることは、前にも書いた。このあいだ、その池袋の、わりに安く食べさせてくれるすし屋で、店に出る前に軽く腹ごしらえをしていたときのこと。ぼくよりさきに、30歳前後と見えるOLらしい二人連れがきていて、そのひとりがタコを注文した。
「タレをぬってね」と彼女。「あいよ」と、すし屋のおやじさん。
 とたんにぼくは、20年ばかり前のことを思い出した。
 そのころぼくは、東京の西早稲田に住んでいて、ぼくがいたマンションのすぐ近くに、小さなすし屋があった。
 原稿書きの仕事が一段落して、そのすし屋へ、夜食がてらに一杯やりにいったら、見かけたことのない中年男の客がいて、ぼくがぬる燗の酒を飲みはじめたところで、タコを注文した。そして、タレをぬってほしいんだけど、と言い足した。
 そのすし屋のおやじは、ぼくとほぼ同年齢で、まるい顔がなんとなくタコを連想させる。本人もそれを自覚しているので、タコの注文を耳にした瞬間に、ぼくは思わず、彼のほうに視線を投げた。
 ぼくの視線は無視して、おやじはちょっと面白くなさそうな表情でタコを握ったが、やがてその客が帰ると、愚痴でもこぼすような口ぶりでつぶやいた。
「まったく、もう……。うちはすし屋だよ。うなぎ屋じゃねぇんだから……」
 彼の面白くなさそうな表情は、「タコ」という言葉に反応したぼくの視線のせいよりも、むしろ客の口から出た「タレ」のせいだったらしいと、ぼくもすぐに気がついた。
 うなぎ屋が使うのがタレで、すし屋が、タコやアナゴやシャコに使うのはツメだと、その程度の知識はぼくにもあった。
 そのころはもう、タコなどにツメをぬることが少なくなっていて、マグロなんかと同じように、ちょっと醤油をつけて食べるのが一般的になっていた。それでもたまには、ぬってくれと注文をする客もいたのだが、そんな客たちも、使う言葉はほとんどがタレだった。
 醤油とみりんが主原料で、それに何年何十年と、そこをくぐる蒲焼きの味がしみこんだうなぎ屋のタレと違って、すし屋のツメは、アナゴの煮汁とハマグリの煮汁を煮つめて作る。もっとも、昭和の30年代から、すし屋のネタから煮ハマグリが急速に消えていって、20年ほど前のそのころは、ハマグリのかわりにホタテのヒモを煮て、この煮汁とアナゴの煮汁でツメを作っていると、西早稲田のオヤジから聞かされていた。ツメは「煮ツメ」がつまったものだろう。
 言葉は時代とともに変化していくものだから、ツメがタレのなかにとりこまれてしまっても、しかたないのかもしれないが、タレとツメとの伝統的な違いは、やはり言葉として残しておきたいな……。池袋のすし屋で、最近では珍しく、タコにタレをぬらせた女性を、横眼で見ながら、ぼくはそんなことを考えていた。

]]>
食べる machizukuri 2006-09-28T15:03:06+09:00
ねじ回し http://machizukuri.info/blog/series/archives/#000901 lady.jpg

 はじめに思いついたタイトルは、『女殺しのねじ回し』だった。だが、いささかドギツイような気がして、結局、ただの『ねじ回し』に落ち着いた。
 ねじ回しは、英語では「スクリュードライヴァー」だが、日本人の多くは、ねじ回しを単にドライヴァーと呼んでいる。そのせいか、スクリュードライヴァーといえば、ぼくの頭には、ねじ回しではなくて、飲み物のスクリュードライヴァーのほうが浮かんでしまう。
 飲み物のスクリュードライヴァーは、ウォツカをオレンジジュースで割ったものだ。イギリスで出版された『クラシック・カクテルズ』という本で見ると、この飲み物には、「……1950年代に生まれたロング・ドリンクで、イラン駐在のアメリカ人の石油関係者が、ねじ回しでかきまぜたと話したことから……」と説明がついている。日本人が書いたカクテル・ブックにも、この説を紹介しているのがあった。
 東京で学生生活をはじめたぼくが、スクリュードライヴァーに出合ったのは、朝鮮戦争が休戦になったあとだから、50年代の後半だったはずで、そのころぼくは、スクリュードライヴァーは朝鮮戦争の戦場で生まれたものだと思いこんでいた。親しくなった米軍の下士官が、「前線では、ねじ回しでかきまぜるものだったんだ」と話していたからだ。
 当時のスクリュードライヴァーは、国産のウォツカを、なぜかびん詰めのバイアリースのオレンジジュースで割るものときまっていたようで、梅割りのショーチューなんかよりも、はるかにカッコイイ飲み物だった。それに、甘くて口当たりのいいスクリュードライヴァーには、「レディ・キラー」という肩書きみたいなものがついていて、女の子を酔わせるのに最適の飲み物だと信じている男が、たくさんいたのだ。
 いま、ぼくの店でも、たまにスクリュードライヴァーを作るが、必ず生まのオレンジを使う。45ミリほどのウォツカを、オレンジ1個を絞ったジュースで割るのだが、この量では大きなタンブラーを満たせないので、オン・ザ・ロックのスタイルにする。
 大きなタンブラーに、氷と、ウォツカたっぷり60ミリ以上入れ、これをオレンジジュースで満たして、ごくごく飲むのが本筋ではなかろうかと、いつも思うし、家ではそうやって飲んでいるが、紙パックのジュースを使うと、なんだか居酒屋風になってしまいそうで、バーではちょっと具合いがわるい。
 若い女性客に作ったときなんかは、「昔はレディ・キラーと呼ばれてたんですよ」などと話すのだが、女性客はたいてい、不思議そうな顔をする。たしかに、いまどきの女の子は、スクリュードライヴァーの一杯や二杯で酔っぱらったりはしないのだ。
 現代の「女殺し」と呼んでもらえそうなオリジナル・カクテルを、ぼくもいくつか考案して、それなりに評判もいいのだが、それでも、ぼくの店にきてくれる女性客には、殺しの小道具としては通用しないらしい。

]]>
machizukuri 2006-07-06T21:55:04+09:00
水族館のホッケ http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat72/index.html#000899 hokke.jpg
 マスコミ業界へ進もうとしている若者が相手の専門学校で教えていたころ、ぼくのゼミでは、月に一度くらい、動物園や水族館へ出かけていた。動物園や水族館からの、お客さんへの情報の出し方を、ゼミの研究テーマにしていたからだ。
 じっさいに出かけてみると、学生たちの多くは、ゼミのテーマなんかそっちのけで、動物たちをただ面白がって見物していたのだが、そんな学生たちが、毎年必ずといっていいほどに、面白がったりびっくりしたりしてくれたもののひとつに、水族館のホッケがあった。
 大森海岸のそばのその水族館には、寒い海の魚たちを集めたコーナーがあって、そこに並んでいる水槽の、はじっこのひとつの隅に、ホッケがいた。
 東京の居酒屋では、メニューにたいていはホッケがはいっている。ホッケは、身がポコッととれて、魚の食べ方が下手な若者にも食べやすいせいだと思うが、けっこう人気のある肴だ。
 水槽の底に、まるでうずくまっている感じでじっとしているホッケは、色も地味で、とにかく目立たない魚だから、あれがおまえたちも居酒屋なんかでお馴染みのホッケだよと、指さして教えてやらない限り、学生たちはまず気づかない。
 だか、一度ホッケに視線がとまると、ほとんど例外なく、感激の反応を見せてくれる。
 「へえっ! これがホッケ! ぶさいく!」
 なかにはこんな大声をあげて、まわりの見物客を笑わせた女子学生もいた。
 ゼミのメンバーが、生きている動物たちの姿や動きを楽しみながら、同時にゼミのテーマについて考えてくれるようになるまで、例年、半年くらいの時間はかかるのだが、これは準備期間みたいなもので、こちらもべつに焦らない。そのあいだに、たとえば水族館では、ふだんは料理されたものか、スーパーなどで切り身や開きしか見ていない魚の、動く全身像に出合い、それと魚たちの名前が、たとえ二つでも三つでも、正確に結びつくようになれば、それなりの効果はあるのだと考えることにしていた。
 それにしても、いまの子どもたちの若者たちの多くは、こちらがびっくりするくらい、魚の区別がつかない。カツオもサバも、アジもイワシも区別ができないのがたくさんいる。
 だが、考えてみれば、今日の日本の多くの町には、お使いにきた子どもたちに、魚のことをあれこれ教えてくれる魚屋のおっちゃんがいないのだ。スイカの食べごろの音を教えてくれる八百屋のおばちゃんもいない。
 何十年か前の町には、学校ではまず教えないことを、具体的に教えてくれる機能があったと思う。ぼくの店がある東京の池袋でも、いま町の改造が進んでいるけれど、その計画のなかに、町の教育機能がちゃんと盛り込まれているようには、とても思えないのだ。

]]>
食べる machizukuri 2006-05-28T16:23:25+09:00
車中の酒 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat71/index.html#000605 syatyuunosake.jpg
 高崎線と東海道線を直通でつないでいる湘南新宿ラインで、ぼくは週に4回、埼玉県の桶川市と東京の池袋を往復している。ぼくが店に向かうのは夕方で、通勤ラッシュとは逆方向だし、乗客がわりに少ないうしろのほうの車両に乗るから、座席にありつけないことはまずない。
 通勤ラッシュとは逆方向と書いたが、それでも、勤めの帰りらしい人がいないわけではない。そして、車両で一杯やっている人が、けっこう多い。ひとりで、つまみの袋を片手に、缶ビールやワインカップ型の日本酒を、いかにも幸せそうに飲んでいる人もいるし、2、3人で楽しそうに喋りながら、チューハイのたぐいを飲んでいる人たちもいる。
 この時間帯の上り列車では、そもそも典型的なホワイトカラー族をあまり見かけないのだが、それにしても、車内で飲んでいる人たちの多くは、古い言い方を使えば、ブルーカラーのおじさんたちだ。
 こんなタイプのおじさんたちが、気軽に飲めた居酒屋を、いまは若いサラリーマンやOL、それに学生たちが占領してしまったからかなと、そんなふうにも思うが、そんなこと以上に、車中で飲む酒はとにかく楽しい。
 で、ぼくも実行することにした。店に出る前に飲むのはまずいから、帰りの車中や、それもグリーン料金の安い日曜日に決めた。日曜日の下りのグリーン車はすいていて、ふたり掛けのシートをひとりで使える。駅に向かう途中、コンビニで酒とサンドイッチを買って、グリーン車に乗る。週に一度のぜい沢だ。
 店にときどききてくれるある有名大学の若い助教授くんに、この話をしたら。すぐに明るい反応があった。
 「ぼくも飲みますよ・ちょっと長い時間乗るときは、必ず飲みます。東京からの列車は、東海道新幹線は別だけど、地下から出て、地上に出るまでに時間のかかるのが多いでしょう。不思議なことに、トンネルをぬけるまでは、酒をあけずに待つんですよ。外が見えるようになってから、あける。ぼくだけじゃなくて、同僚や学生といっしょのときも、みんなそうです」
 言われてみると、われわれ日本人には、なにかと眺めながら飲むのを好む習慣があるようだ。湘南新宿ラインは、池袋を出るときから外が見えるので、列車が動き出すと、ぼくはさっさと飲み物の栓をあけ、サンドイッチの封を切るが、眼はほとんど窓の外を見ている。本や雑誌が手もとにあっても、まず開かない。週に4回往復しているのだから、景色はもう見慣れているのだが、それでもやはり、窓外を流れる風景に40分ほどのあいだ、ずっと眼をやっている。
 なにかを眺めながら飲むのがすきなのは、日本人の特性なのかどうか、ぼくにはわからないけれど、考えてみれば、花見酒、月見酒、雪見酒といった風流な飲み方は、ぼくのせまい知識の範囲で、欧米にはないようだ。

]]>
飲む machizukuri 2006-02-06T14:11:38+09:00
サトイモの合性 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat72/index.html#000604 ika.jpg
 身欠ニシンを子どもに食べさせると、根気がよくなる―。どこで仕入れた知識かは聞かないままだったが、ぼくの母親はそれを信じていて、ぼくによく身欠ニシンを食べさせた。第2次大戦のために、いろんなものが不足する以前のことだ。
 京都の、身欠ニシンを使った料理でよく知られているのは、たぶん「ニシンそば」だろうが、少なくともぼくの家では、ニシンそばは家で主婦が作るものではなかったらしい。ぼくがよく食べさせられたのは、身欠ニシンとナスの煮物で、ナスの季節になると、1週間に1度くらいは、これが「おばんざい」だった。京都ふうにいえば「ニシンとナスの炊いたん」だ。
 関西では、煮ることを「炊く」という。「炊いたん」は「炊いたもの」のこと、つまり煮物だ。
 ぼくの家にかぎらず、京都のひとは「ニシンとナスの炊いたん」をよく食べていた。この身欠ニシンとナスのように、コンビが定着しているものを、京都では「合いもん」とか「出合いもん」と呼んでいる。要するに、合性がいいということだろう。
 サトイモのことを関西では子イモと呼ぶが、この子イモとよくコンビを組むのは、タラの干物である「棒ダラ」だ。サトイモの仲間の高級品、エビイモと棒ダラの煮物には「いもぼう」とりっぱな名称がつけられていて、これは料理屋の料理にもなっているが、一般の家庭では、ふつうの子イモを使う。
 京都の伝統を守る古風な家では、毎月15日に、この「子イモと棒ダラの炊いたん」を食べる習慣があったようだ。しかし、今日の若い京都人に、この風習が受けつがれているのかどうか。
 ぼくの両親は、大阪育ちのひとだった。そのせいで母親の京都の風習への関心が薄かったからか、かちかちに乾かされた棒ダラを、水に漬けてもどすのが面倒だったのか、わが家で子イモと棒ダラのコンビに出合うのは、正月のおせち料理のなかでだけだった。
 棒ダラを炊くかわりに、母親がよく作ったのは、子イモとイカの煮物だ。胴を輪切りにしたのに、足もいっしょにして子イモと炊いたもので、だからぼくの記憶のなかでは、子イモと棒ダラよりも、子イモとイカのほうが、ずっと馴染みの深いコンビだった。
 おとなになってから気付いたのだが、サトイモとイカのコンビは、関西だけでなくて、東京なんかでも、ごくふつうのもののようだ。いまぼくは、東京を離れて、埼玉県の桶川という小さな市に住んでいるのだが、桶川のスーパーにも、おそうざいのコーナーに、サトイモとイカの煮物が、いつも並んでいる。
 豚汁やけんちん汁、有名な山形県の「イモ煮」などなど、サトイモは他の根菜類といっしょに、汁や煮物になることが多いのだが、サトイモだけの煮物の場合にコンビを組むのがイカというのは、全国的なものなのかどうか。
 郷土料理の取材のために、日本全国をまわったとき、こんなところにも注意を向けておくべきだった。
 ぼくの家で、サトイモとイカのコンビが日常化したのは、身欠ニシンや棒ダラのような干物が、海産物としての重要な地位を、京都で占めていたころから時代がうつって、氷づめのイカがふつうに入るようになってからのことのはずだ。
 では、昔から新鮮なイカが、らくに手に入る地域で、サトイモとイカのコンビが、やはり成立していたのかどうか、ぼくの頭にはまだ疑問が残っている。

]]>
食べる machizukuri 2006-01-08T12:42:26+09:00
まる氷の謎A http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat71/index.html#000603 marugori-2.jpg
 まる氷にこだわるバーテンダーのなかに、氷を表面積がもっとも小さくなる球形にしておけば、それだけ氷が溶けにくいから「ロック」の中身が水っぽくなるのを防げると力説するひともいる―こんなところまでを前回に書いた。
 だが、この論にはやはり無理がある。
 氷が完全な球形なら、たしかに表面積は最小だろう。でも、完全な球形に近づけるのも大変だろうし、開店前に作ったまる氷を冷凍庫に入れておけば、表面の水があらためて凍るから、けっこう複雑な表面のものになりそうだ。それに、氷の溶け具合を、そんなに心配する必要はないと思う。
 オン・ザ・ロックスという飲み方は、たぶん、ウイスキーのようなアルコール度数の高い酒を、手っとり早く冷やすことで、口あたりを優しくするのが目的なのだろう。多少無責任な断定だが、ウイスキーでもブランデーでも、熟成に時間と手間をたっぷりかけた高級品のための飲み方ではなくて、アルコールの刺激が強い安い酒のために生まれてきた方法だろうと、ぼくは考えている。少なくとも、中身を水っぽくするための手段ではないはずだ。
 だから、オン・ザ・ロックスと呼ばれる飲みものは、中身が冷えたところで、あまり水っぽくなってしまうまえに飲んでしまうのが、まともな飲み方なのだろう。水っぽいのが飲みたければ、最初から水割りを注文すればいい。水割りの濃さは、好みを言えば、バーテンダーが水と氷の量をちゃんと加減してくれる。
 東京の池袋のはずれで、ぼくがやっている小さなバーでは、呼び名の複数形にしたがって、グラスをゆすれば軽い音が出るように、適当な大きさに割った氷を、ふつうは2個使って、オン・ザ・ロックスを作っている。ありがたいことに客たちは、たいていがまともな飲み方をしてくれるけど、たまには、一杯のオン・ザ・ロックスに30分以上も時間をかけて、氷がほとんど溶けてしまい、グラスの底に、豆粒くらいになった氷とわずかな水が残っているだけの段階まで、チビチビとすすりつづける客もいる。こういうタイプは、バーテンダーの立場から見ても、同じカウンターに並ぶ客の立場で見ても、相当にみっともない。
 オン・ザ・ロックスをまともに飲むのなら、わざわざ氷を丸くする必然性なんて、まるでないのだ。
 オン・ザ・ロックスには、これはおそらく、最初から計算されていたことではなくて、ただの副産物だと思うのだが、もうひとつ軽視できないものに、音がある。氷と氷、あるいは氷とグラスがぶつかるときに出る音、あの音を、ぼくはかなり大切にしている。ロックを飲むとき、ちょっとグラスをゆすってあの音に耳を傾けるのは、けっこう楽しい。
 その音で、ぼくがときたま思い出すのは、だいぶ前に、まだ若かったのに亡くなった俳優の松田優作が、グラスを軽くゆすって、乾いたいい音をたてるシーンだ。
 劇場用の映画だったか、テレビ映画だったか、タイトルもストーリーも忘れてしまったが、自分の部屋でひとりで飲むシーンもあったし、バーのカウンターにひじをついて飲むシーンもあったと、ぼんやり記憶している。
 ともかく、いい音だった。あれはきっと、オン・ザ・ロックスの好きな監督が、アフレコで入れたものだったのだろう。
 まる氷では、すてきなこの音を楽しむことができない。
 まる氷がいくらか溶けて、中身も少なくなったところで、一気に飲んでしまおうと、グラスをいきおいよく傾けたら、氷が転がり出て、鼻にぶつかりそうになったりもする。ぼくの知人には、じっさいに氷が鼻にぶつかったという男が、かなりいた。ひとりは、まる氷を使うような店は、基本的に避けると宣言していたが、もうひとりには、バーテンダーがまる氷を使いそうになったら、遠慮せずに声をかけて、ふつうのかちわりを使わせればすむことだと教えてやった。
 まる氷で、気になるというよりも、はっきり不快感をおぼえることがある。客がおかわりを注文したときに、氷がある程度の大きさを保っていると、客にことわりもせず、氷をそのままにウイスキーなんかをついでしまうバーテンダーを見かけたときだ。
 手間をかけたまる氷なんだから、おかわりのたびに新しいのは使えないということなのだろう。その気持ちはわからないではないが、氷の二度使いはしないのが、バーのいいところなんだぜと、ひと言口をはさみたい衝動に駆られる。
 ぼくがときどき寄るバーでは、ぼくのまる氷嫌いを知っているから、ぼくがたまにバーボンのロックなんかを注文すると、バーテンダーは間違いなく、まともなオン・ザ・ロックスを作ってくれる。
 しかし、はじめて入ってみた店では、バーテンダーがグラスにさっさとまる氷を入れようとする場合が多い。そんなとき、ぼくはあわてて声をかけ、ふつうのかちわりを使ってほしいと頼む。
 年配のバーテンダーには、とたんにうれしそうな表情を浮かべるひとが少なくない。だが、若いバーテンダーのなかには、へんなじじいだなと、明らかにいやな顔を見せるやつもいる。そんな店には、ぼくは二度と足を向けない。
 それにしても、あのまる氷、いったいどこの誰が、いつオン・ザ・ロックスに使い出したのだろう?

]]>
飲む machizukuri 2006-01-04T17:54:23+09:00
まる氷の謎@ http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat71/index.html#000602 marugori-1.jpg
 オン・ザ・ロックスという飲み物には、オールドファッションド・グラスを使う。
 こんな当たり前のことを、ここでわざわざ書いたのは、最近、オールドファッションド・グラスという呼び方が、ほとんど消えてしまったからだ。お客もバーテンダーも、みんな「ロック・グラス」と呼んでいる。そもそも、オン・ザ・ロックスという呼称自体、めったに使われない。だれもが、単に「ロック」と呼ぶ。
 多くの文化要素と同じように、言語も時代とともに、ある程度は変化する。ぼくが「カタカナ外来語」と呼んでいる言葉には、この傾向がとくに強いようだ。
 だから、オールドファッションド・グラスのような長ったらしい呼び方が「ロック・グラス」に変わり、やはり長ったらしいオン・ザ・ロックスがただの「ロック」になっても、べつに文句をいうつもりはない。日本の性の文化のなかで、クリトリスが「クリちゃん」に変わり、フェラチオが「フェラ」や「おフェラ」に変容しても、文句は言わない。だが、オン・ザ・ロックスが、本来持っている複数形の感覚がただの「ロック」ではまるっきり消えてしまうので、こんなケースはちょっと気になる。
 オン・ザ・ロックスに関して、それが「ロック」に変わってしまったこと以上に、何年も前から、どうにも気になってしかたないのは、そのロックに「まる氷」と呼ばれているボール状の氷が使われることだ。
 日本のバーで、もっと正確にいえば日本のバーだけで、まる氷が使われるようになったのがいつごろからなのか、まだちゃんと調べてはいないのだが、ぼくがどこかのバーでこれに出くわしてから、少なくとも10年にはなると思う。へんなものが出てきたなと思ってたら、まるでルーズソックスの流行みたいに、たいへんなスピードで一般化してしまった。
 いまでは、20歳台の若いバーテンダーのなかに、バーテンダー修行の第一歩はまる氷を作ることと、かたく信じ込んでいるのもいるらしい。開店前、あるいは店を開けてからも、まだお客があまりこない早い時間に、せっせとまる氷を作っている見習いらしい若者を見ると、なんだか気の毒になる。
 まる氷を作ることで、たしかにアイスピックの使い方には慣れるかもしれない。だが、そんなことについやす余分の時間があれば、グラスや酒びんを磨いたり、酒にかかわりのありそうな書物―エッセイでも、小説でも、専門書でも―に目を通したりするほうが、バーテンダーとしてはもっと大切だろうと、ぼくは思うのだ。
 それにしても、まる氷なんてしろものが、なんで流行したのだろう。
 まず、見た目のおもしろさというのがありそうだ。オールドファッションド・グラスのなかに、ボール状の氷がすっぽりはまりこんでいる情景に、ある種の軽いおもしろさがあることは、ぼくも否定はしない。だが、それ以上の利点もなさそうだし、むしろマイナス面ばかりが考えられるまる氷を、バーに寄るたびに見せつけられると、いい加減うんざりしてしまう。
 まる氷にこだわるバーテンダーのなかには、氷も表面積がもっとも小さくなる球型にしておけば、それだけ氷が溶けにくいから、ロックの中身が水っぽくなるのを防げるんだと主張するやつもいる。
 しかし、この論はちょっとおかしいと、ぼくは思う。そのへんのことを、次に書いてみよう。

]]>
飲む machizukuri 2005-12-12T21:54:52+09:00
口の価値 その5 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat73/index.html#000601  年をとってしまったのが、残念ながら、たぶん一番の原因だろう。だが、もうひとつ、このところの小遣いの不足という、実質的な影響がより強力な理由もあって、ソープランドをはじめ、その手の店にはすっかりごぶさたしている。
 だから、最近のソープランド事情については、夕刊のスポーツ紙などから多少の知識を仕入れている程度で、慢性の勉強不足がつづいていて、これはなんとかしなければと、真剣に考慮中だ。

 ソープランドの前身であるトルコ風呂へ、ぼくがせっせと足を運んでいたころ、トルコ風呂の個室のドアには、一辺が30センチか40センチくらいの小窓が必ずついていた。
 もちろん、個室の内部での、トルコ嬢のよからぬ行動を封じるための仕掛けだ。もしも彼女らが、ユニフォームを脱ぐようなことをしたら、すぐにバレるぞと、間接的に脅していたのだろう。
 幅のせまいベッドでのマッサージは、うつ伏せに横になった客の背中にタオルをかけ、肩と背中と腰を軽くマッサージするのがメインで、その最後に、トルコ嬢が客の腰にまたがり、彼女の尻をゆすって、股間を客にすりつけるようなサービスによく出合った。
 背面のマッサージがすむと、客を仰向けにして、胸から腹部にタオルをかける。そして、胸やふとももを少しなでまわすのだが、これはマッサージというより、「おスペ」か「ダブスペ」のための前奏曲みたいなもので、三度、四度と指名を重ねると、客の下腹部に手をおき、タオルの上から、指先で客のものをからかう例が多かった。
 このときトルコ嬢は、せまいベッドの客のかたわらへ、お尻のサイドを客に押し付けるように腰をおろすのだが、彼女の背中はドアのほうに向けられていて、かりに誰かがドアの窓からのぞいても、客の下半身は絶対に見えないという仕組みだ。

 「するんでしょ?」
 「うん。ダブルでお願い」
 こんな調子の短いやりとりがあって、そこでトルコ嬢はおもむろに、たいていはベッドの頭のほうにある棚から、乳液のびんをとる。このころはまだ、トルコ風呂専用のような、ねばっこいローションが開発されていなかったのだろう。潤滑剤としての乳液を手のひらにとって、あらためてベッドに腰をおろし、客の胸から腹にかけたタオルをまくりあげて、いよいよダブスペが始まる。ぼくが知っている範囲では、これが普通の進行だったと記憶している。

 新宿のはずれの、はじめて入った店で出会った小柄なトルコ嬢の場合も、似たような進行だった。
 だが、そのトルコ嬢は、乳液をとるために腰をあげようとはしなかった。
 「ちょっと変わったこと、しましょうか?」
 ぼくにかけたタオルをまくりあげ、下腹部をむきだしにしたところで、彼女はささやくように言った。
 変わったことって、どんなことだと、のどまで出かかった言葉を、ぼくは飲み込んだ。ぼくのものはすでに半分以上起き上がっていたし、その根元近くを、彼女の一方の手が軽くつかまえていた。
 ぼくのかたわら、正確にいうと、ぼくの右側に腰をおろしたまま、彼女はぼくの側の足、つまり彼女の左足をあげた。その膝がぼくの顔をまたぐ形になり、彼女はベッドの反対側の壁に足を押し付けて、あげた膝を支えた。ぼくが左手をちょっとのばせば、すぐにもぐりこめるところへ、ショートパンツのすそがきた。
 そして彼女は、その姿勢のままで上体を倒して、ほとんど立ち上がっていたぼくのものを、すっぽり口へ吸い込んだのだ。
 これが噂のトルコ嬢だったのだろうかと、ぼくは頭の片隅でぼんやり考えていた。

 ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「口の価値」についての話が、少しつづいてしまいました。読んでくださる方に飽きられると困るので、このへんでちょっと寄り道をして、酒の話を1、2本はさみ、それからまた口の話に戻りたいと思います。口でのサービスについては、じつはこの先が、ぼくの書きたいことの主要部分なのです。

]]>
遊ぶ machizukuri 2005-09-17T16:18:28+09:00
口の価値 その4 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat73/index.html#000600  新宿の彼女の、まずぼくの体を流したあと、ぼくの「前」を素手でていねいに洗ってからの「おスペ」、そして、マッサージのあとの、ユニフォームのショートパンツのすそから、さらにパンティーの脇から浸入するぼくの指を、素直に迎え入れながらの本格的な「ダブスペ」。この、いわばスペシャル・セットに、そのころのぼくは、どうやら十分に満足していたらしい。

 平均すれば、たぶん週に1回程度だったと思うのだが、新宿の彼女に楽しいサービスを提供してもらっていたころ、やはり東京の五反田に、おもしろいトルコ娘がいるという噂が耳に入った。
 マッサージが終わって、客が「ダブルでお願い…」と注文したところで、そのトルコ嬢は、「見るの?さわるの?」とたずねるのだそうだ。
 つまり、彼女の「ダブスペ」には、「おスペ」プラス彼女の大切なところを見せていただくのと、「おスペ」プラスそこに触れさせていただくのと、ふたつの選択があることになる。

 だが、新宿の彼女に満足していたぼくは、一応は好奇心を燃やしながらも、五反田にまで足をのばすことはしなかった。
 いま考えると、それだけの好奇心を満たしてやる努力をしなかったのは、物書き稼業の若手として、じつにだらしがなかったと言われてもしかたがない。
 「見るの?さわるの?」
 とたずねられて、
「両方、お願い!」
 と答えたら、五反田のそのトルコ嬢は、いったいどんな反応をしめしたのだろう?それと、もし客が「見る」ほうを選んだ場合、彼女がどんな姿勢で、どんなふうにそこを見せてくれるのか、いまとなればそれも知りたい。
 とにかく、少なくとも一度か二度は、ちゃんと探検してみるべきだった。

 新宿のどこかに、口を使うトルコ嬢がいる……。そんな噂を聞いてまもなく、ほんとうにその噂の主だったのかどうかはわからないが、ぼくはじっさいにトルコ嬢の口のサービスを体験することになった。まったくの偶然だった。
 新宿で少し飲んで、ぼくはほろ酔いの状態だった。酔いというやつには、きっと文化的な抑制を、うんとゆるめてしまう機能があるのだろう。ぼくは当然のように、トルコ風呂へ向かう気になっていた。そしてその夜は、なぜか初めての店にしようときめていた。
 何軒ものトルコ風呂が集まっている地域には、意識的に足を向けなかった。その地域につけば、どうせ馴染みのトルコ嬢のだれかを指名してしまうだろうと思ったからだ。

 新宿の繁華街からはずれて、明治通りを池袋方面へ少し歩き、横丁のひとつに入ると、あまり目立たないトルコ風呂が、一軒だけあることに、前から気がついていた。
 ぼくをほろ酔いの状態にしてくれたバーからは、わりに近くだということもあって、とくにためらうこともなく、ぼくは初めてのそのトルコ風呂に入った。
 そこで、口を使ってくれるトルコ嬢に出会ったのだ。
 そのトルコ嬢を、その後何度も指名することになった。

]]>
遊ぶ machizukuri 2005-09-05T09:46:21+09:00
口の価値 その3 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat73/index.html#000599  「裏を返す」という言葉がある。
 古くから…、たぶん江戸時代には、すでに成立していた表現なのだろう。
 芸妓や娼妓、とくに娼妓を相手に遊ぶとき、最初の出会いは「初会」と呼ばれる。そして、その女性が気に入って、2度目にちゃんと指名するのが「裏を返す」だ。
 遊びのほんとの楽しさはね、裏を返してから始まるんだよと、遊びの大好きな先輩に教わったことがある。

 新宿のトルコ風呂の彼女とは、ちゃんと裏を返して、さらにもう一度会ったわけだから、ぼつぼつ多少は無理な注文をしてもいいだろうと、そのときのぼくは、心のどこかでそんな計算をしていたのかもしれない。
 微笑を浮かべながら、「いいわよ」と、あっさりこたえられて、とくに無理な注文ではなくて、じつは常連の客の多くが、彼女の手で「前」を洗ってもらっているのかもしれないと、ぼくは思った。
 いったんぼくにさし出したタオルをひっこめて、彼女はそれを、かたわらの洗面器においた。そして、両手に石けんをはさんで、手のひらにていねいにこすりつけた。
 彼女の手が、ぼくの「前」にのびた。

 東京でオリンピックが開催されたのは、昭和39年(1964)のことだ。名馬シンザンがセントライトについで、2頭目の三冠馬になった年でもある。その前後のあたりから、急激に発展し増幅したトルコ風呂のテクニックのなかで、客の大切なものをトルコ嬢が素手で洗うのは、いわば基本中の基本テクニックになっていた。腰をおろした客の、股間の部分が空間になっていて、客が腰を浮かすことなしに、トルコ嬢の手が客の股間に自由にはいりこめるタイプの「スケベ椅子」と呼ばれることになるトルコ風呂専用の腰かけが、はじめは木製のもので登場し、トルコ嬢が客の大切なものはもちろん、お尻の穴まで素手で洗うのが、このころには当たり前のサービスとして定着していた。だが、それより何年か前に、新宿の彼女は、客のものを素手で洗う常連客向けのサービスを、すでに実行していたわけだ。

 若い女性に、素手でいじられて、しかもそのいじりようが、いかにも刺激的なものだったから、ぼくのものは、当然の反応をすぐにあらわしてしまった。
 「こんなになっちゃった」彼女が言った。
 「しょうがないよ。きみの手が、そうしむけたんだもの」
 「一度出しちゃう?」
 「そうしたいけど、あとの楽しみが台なしにならないかな…」
 「大丈夫よ、きっと。元気があるんだから。あとであたしにさわったら、すぐにまた元気になるわ、きっと…」
 彼女の手が、べつの動きを始めた。

 さきに「ダブスペ」の説明をしたとき、トルコ嬢が客のものをしごくのと同時に、客のほうも、手を彼女のショート・パンツのすそからさしこみ、さらに指をパンティの脇からもぐりこませることが許されるサービスを指すのが、もっとも一般的な説だと書いた。そして、「おスペ」を2回楽しむことだという異説があることにもふれておいた。
 新宿の彼女と3度目に会ったとき、ぼくはこのふたつの説を、同時に確認したことになる。

 新宿のどこかに、口を使ってくれるトルコ嬢がいる…。そんな噂を耳にしたのは、それから1年か2年ばかり後のことだ。

]]>
遊ぶ machizukuri 2005-08-23T08:36:15+09:00
口の価値 その2 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat73/index.html#000598  「口の価値 その1」を書いたあとで、妙にはっきりと思い出したことがある。

 「おスペ」や「ダブスペ」という用語が元気なころだから、昭和30年代の中頃だったろう。そのころ、マッサージにとりかかる前の、トルコ嬢が客の体を洗う段階で、客の「前」…、つまり下腹部は、客が自分で洗うことになっていた。ぼくが思い出したのはこのことで、そこから連鎖的に、そのときの体験がよみがえったのだ。

 浴室用の小さな腰かけに腰をおろした客の、まず背中を流し、(ここからの順序は、当時の実際と少し違っているかもしれないのだが)胸を洗い、腕や足を洗ってから、トルコ嬢は一度タオルをゆすいで、あらためてタオルに石けんをすりこむ。そして、そのタオルを客にさし出すのだ。

 とくに気にしないで「タオル」と書いてしまったのだが、この記憶は、たぶん間違いではないと思う。体を洗うのに、それ専用のスポンジを使うようになるのは、もう少し後のことのはずだ。

 もっとも、このスポンジの使用が、日本のトルコ風呂の技術史のなかで、じつはたいへんに大きな意味を持つことになる。それは、いわゆる「泡踊り」のための、こまかな泡のかたまりを作るのに、スポンジが欠かせないからだ。

 「泡踊り」をはじめ、トルコ風呂で開発されたさまざまなテクニックは、やがてマスコミにものって、日本人の性的な行動に、ずいぶん影響をあたえることになるのだが、それについても、いずれ書くつもりでいる。

 「前はご自分でどうぞ」

 あらためて石けんをすりつけたタオルをわたしながら、トルコ嬢が言う。

 言われればしかたがないから、タオルを受けとって、自分でもそもそ洗うのだが、これがなんとも味気ない。

 新店のトルコ風呂で、三度目に会ったトルコ嬢に、ぼくは思いきって言ってみた。

 「ついでに、きみが洗っておくれよ。どうせ、あとでいじることになるんだから」

 彼女と最初に出会ったときには、単純な「おスペ」を、マッサージのあとで楽しんだだけだった。

 とくに美人というわけでもなく、おっぱいやお尻にとくに魅力があるわけでもなかったけれど、ぼくにとってはとても親しみやすいタイプの女性で、だからぼくは、数日後にまたその店をたずね、彼女を指名した。指名料がべつに必要だったという記憶はない。店に払う入浴料が、500円だか800円だかの時代で、あとでトルコ嬢にわたすサービス料が、「ダブスペ」を楽しんで、たぶん1000円だったと思う。大学出の初任給が、まだ1万円台だったのだろう。ぼくは、やっと連載ものなんかの注文もふえて、同年代の若者よりは、小遣いにだいぶゆとりがあったのだ。

 二度目に会ったとき、「ダブスペ」にクラスを上げた。そして三度目に、さきの注文を切り出した。

 彼女の顔に、思いがけない微笑がひろがった。

 「いいわよ」

 あっさりと言って、彼女は、いったんぼくに出したタオルをひっこめた。 

]]>
遊ぶ machizukuri 2005-08-17T23:10:36+09:00
口の価値 その1 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat73/index.html#000597  「おスペ」と「ダブスペ」。

 60歳台以上の男性で、若いころにトルコ風呂=現在のソープランド=へちょくちょく足を向けていた人には、とても懐かしい用語だろう。

 「おスペ」は、スペシャル・サービスのこと。スペシャル・サービスが、スペシャルだけになり、やがて「おスペ」に落ち着いたらしい。

 「ダブスペ」は、ダブル・スペシャルの省略形だ。

 日本の各地、とくにもとの赤線と呼ばれていた街で、トルコ風呂が発展するのは、売春防止法が1年間の猶予期間をへて全面的にスタートした昭和33年=1958年の4月1日以降のことだが、のちに「トルコ風呂」と総称されるようになる個室型の浴場は、それ以前に出現していた。ぼくが知っている限りでは、東京で最初にできた公認のトルコ風呂は、銀座のはずれに登場した「東京温泉」で、1970年代にはいってからぼくが調べた時には、昭和26年=1951年に開業ということだった。そして、1953年の暮れには、30軒ほどの個室つき浴場が、東京で営業していたそうだ。

 この「東京温泉」で、一部のトルコ嬢が、客としてやってくる駐留軍の兵士の要求にこたえて、手で射精までの面倒をみるサービスが生まれ、スペシャル・サービスとひそかによばれていた。これがのちの「おスペ」の源流ということに、一応はなっている。

 「おスペ」は、かつて駐留軍の兵士が受けたのと同じようなサービスで、トルコ嬢が、客の体を洗い、かんたんなマッサージを終えたところで、客の注文を確認してから、手で射精までみちびいてくれるものだ。

 「ダブスペ」のほうは、トルコ嬢が客のものに触れているあいだ、客もトルコ嬢の大事なところをさわってよろしいというサービス。ただし、トルコ嬢はユニフォームを絶対に脱がないのが原則だから、客は、当時の一般的なユニフォームだったショートパンツのすそから手を入れ、パンティのわきから指をもぐりこませるのが普通の楽しみ方だった。

 もっとも、「ダブスペ」にはもうひとつの説もあって、それは1回の入浴で2度「おスペ」を楽しむ場合をさすというものだ。

 たしかに「おスペ」を2回楽しませてもらうことはあった。この場合は、体を洗ってもらう段階で一度、そしてマッサージのあとでもう一度頑張ることになる。ただ、この2度放出する場合、ぼくのたよりない記憶では、とくに「ダブスペ」とは呼ばず、「2回お願いね」などと頼んでいたはずだ。2度目のときは、当然のように、ショートパンツのすそから手を入れていたから、最初の1回は、「ダブスペ」のおまけのような感覚だったのだろう。

 いずれにしても、昭和30年代中頃のこの当時、トルコ嬢のサービスに、やがて彼女の口の参加があたりまえのことになるなど、ぼくは考えもしなかったのである。

]]>
遊ぶ machizukuri 2005-08-11T16:28:06+09:00
アルプス酵母 http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat71/index.html#000596  日本酒は、ぬる燗で飲むのが好きだ。

 暑い季節になると、とりあえずのビールを飲んだあとは、ウィスキーやジンやいも焼酎などの蒸留酒を飲むことが多くなって、そんな酒たちはちゃんと補充するのだが、日本酒の補充がついおろそかになり、この原稿を書きはじめるのに、念のために台所にいってみたら、日本酒は2種類しかなかった。

 しかも、2種類のうちのひとつは、料理に使う普通酒で、いま手もとにある晩酌用の日本酒は、純米酒がたった1種類だけということになる。もっとも、気がつけば適当な日本酒がすっかりなくなっているという事態も、とくに珍しくはなくて、そんなときは料理用のを、ありがたくいただくのだから、2種類しかなくても、文句はいえない。

 ところで、いま手もとにある2種類の日本酒、その原材料は、それぞれつぎのように表示されている。

 まず、普通酒のほうが、「米・米麹・醸造アルコール・糖類」

 純米酒のほうは、当然のことだが、醸造アルコールと糖類はなくて、「米・米こうじ」

 米麹は、蒸した米に、黄麹と呼ばれるコウジカビの一種の胞子をふりかけて、適当な温度と湿度のもとで繁殖させたものだ。

 米と水に、あとは米麹さえあれば日本酒ができると思い込んでいる人は、日本酒党のなかにも意外に多い。たしかに、純米酒のラベルに表示されている原材料を見れば、そう思い込んでも不思議ではないのだろう。

 だが、コウジカビの酵素がやってくれるのは、米のデンプンを糖に変える段階までだ。だから、米と水と米麹だけで造れるのは甘酒で、日本酒は造れない。甘酒から日本酒にすすめるためには、糖をアルコールに変える酵素が必要になる。

 この酵素を出す酵母は、日本酒を造る蔵から菌を採集して、特定のものを純粋培養して使う。代表的な酵母のひとつ、「協会酵母9号」は熊本県の蔵元から採集・分離されたものだ。酵母のなかには、県が開発したものもあって、よく知られている「アルプス酵母」は、長野県が開発した。

 つい「よく知られている」と書いたが、よく知っているのは酒造関係者や、ぼくみたいに好きな酒のことを書きたがる人間だけかもしれない。ぼくの周囲にいる長野県の出身者で、そこそこ酒を飲む連中の何人かにきいてみたが、「アルプス酵母」を知っていたのは、ひとりもいなかった。

 酵母そのものを飲むわけではないから、原料に入れてもらえないのかもしれないが、使用酵母の名を表示している例は少ない。長野県の蔵元は、もっと「アルプス酵母」を使って宣伝し、県の名物に育てればいいのにと思うのだが…。

]]>
飲む machizukuri 2005-07-19T22:14:17+09:00
クマのソーセージ http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat72/index.html#000595 kuma.jpg
 ハムやソーセージの手づくりが趣味のひとつという人も、少しくらいはいらっしゃるのだろう。ぼく自身、うまいソーセージを作ってみたくて、だいぶ前のことだが、松尾尚之氏著の「手づくりハム・ソーセージ」(創守社刊)という本を、わざわざ買った。

 だが、実行するとなると、やっぱりおっくうで、まだ手を出していない。

 ハムやソーセージやベーコンのたぐいは、家庭で作るものではなくて、すべて工場で生産されるものと、たいていの日本人はそう思い込んでいるのではなかろうか。

 もう40年くらいも前の話になるが、はじめてホンコンに行ったとき、民家の壁の高いところに、サラミみたいな色の細長い腸詰めが、6、7本ぶらさがっているのを見て、ちょっと感激したことがある。たぶん、自家製の腸詰めを陰干しにしていたのだろう。

 日本にはもともと、腸詰めの文化はなかったようだと、最初にぼくに教えてくれたのは、博識と大食で知られたSF作家の小松左京さんだったと記憶している。とにかくぼくは、人生50年といわれるその年まで、日本には伝統的な腸詰めは存在しなかったと思い込んでいたのだ。

 親しい仲間3人の力を借りて、ぼくが「日本の郷土料理」(ぎょうせい刊)全12巻の編集に取り組んだのは、昭和50年代が終わりに近づいたころからだが、そのための取材で福島県の奥会津、檜枝岐(ひのえまた)村へ出かけたときのことだ。檜枝岐は、かつては秘境だとか陸の孤島などと呼ばれていたところで、ぼくは若いころに、尾瀬を歩いたついでに足をのばしてみたことがある。20何年かぶりに訪れた桧枝岐は、きれいな道路が通り、若い人がよろこびそうなペンションなんかもできて、すっかり変わっていた。

 檜枝岐では、山人(やもうど)料理が売りものの旅館でお世話になり、そこのおかみさんから、何十年も前の話を、いろいろと聞かせてもらった。そのなかで、ぼくがとりわけびっくりしたのは、クマの腸詰めだった。おかみさんの祖父が猟師で、熊をしとめて解体すると、その腸をていねいに洗って、これにクマの腹腔にたまった血をつめ、両端をしばり、大きな鍋で煮て血をかため、それを輪切りにして家族で食べたというのだ。

 シカやイノシシの内臓を、猟師たちが煮込みにして食べる話は、若いころの山登りの途中なんかでも、何度か聞いたことがあるが、腸詰めの話に出くわしたのは、これが初めてだ。日本には腸詰めの文化がなかったという思い込みが、かんたんに崩れてしまった。

 檜枝岐は、栃木、群馬、新潟の3つの県に囲まれているが、このあたり一帯、あるいはこれ以外の山岳地域に、腸詰めの話が残っていないかどうか、少し調べてみたいと思ったが、手づくりのハムや腸詰めと同様、ちっとも実行にうつさないままだ。

]]>
食べる machizukuri 2005-07-07T22:09:20+09:00
Mでオープン http://machizukuri.info/blog/series/archives/cat73/index.html#000594  「Mでオープン」という文字列を見た瞬間に、にやっと笑ったり、なんとなく顔をしかめる人が、現在の日本人のなかに、何パーセントくらいいるのだろう。

 先日、ほんとうに何年ぶりかで、ストリップ小屋に足を運んだ。

 10年くらい前までは、酒や食べものについてよりも、セックスがらみのことを書く機会のほうが、むしろ多いほどだったので、半分は勉強のつもりで、ストリップにも、できるだけ足を向けるようにしていたが、とくにバー商売を始めてからは、すっかりご無沙汰しているのだ。

 ステージに登場した踊り子さんは、たしか7人だったが、そのうち4人までがインスタント・カメラのショウを売り物にしていた。ご存知のない方のために、あえて書いておくと、ステージでの踊りがひととおり終わったところで、踊り子さんがインスタント・カメラを持ち出し、希望する客にわたして、客が注文するポーズを撮らせてくれる。1枚が500円で、たいていの客は1000円札を出して、2枚撮る。3枚も4枚も撮る客はあまりいないようだ。

 客が注文するポーズの代表的なものは「Mでオープン」と「Lでオープン」、それに「バックでオープン」。

 「M」は、ステージにしゃがんだ踊り子さんが、両膝をM字型に開くポーズ。「L」は、一方の脚をステージに投げ出し、もう一方の足首を手でもって、垂直につきあげるポーズを指す。「バック」は、客のほうにお尻を向けての四つん這いだ。むろん両膝は大きく開く。 「オープン」は、踊り子さんが、両手の指で、あるいは一方の手の指で、彼女のたいせつなところを、思い切り開いて見せてくれることだ。
 
 4人の踊り子さんのそれぞれに、手をあげて注文した客は、5人から7、8人くらいいたから、ひとりで何人もの踊り子さんを撮った客もいるが、とにかく延べにして2、30人がカメラを借りたことになる。

 どうやら、お目当てらしい踊り子さんひとりの顔を1枚と、オッパイむきだしの上半身1枚撮って、握手をせがんだ客がひとりだけいたが、あとはぼくをふくめて全員、MかLかバックのうち2点、あるいはひとつをオープンつきでえらんでいた。

 インスタント・カメラを使うサービスは、「ポラロイド・ショウ」などと称して、たぶん20年以上前から存在していたはずだが、それをやる踊り子さんは、出演者のなかの一人か二人だったと記憶している。「正面とバック。できたら指でひろげてくれる?」なんて注文したものだ。

 4人もの踊り子さんの、大事なところを撮ることができて、「Mでオープン」みたいな、専門用語まで定着しているらしいことは、ぼくにはちょっとした驚きだった。

 日本の性の文化には、性器、とくに女性のそれへのこだわりがとくに強い傾向があると、ぼくも何度か書いたが、この伝統は今日も健在らしい。ただ、幸せそうに写真を撮っていたのは、すべて中年以上の年輩だった。現代の若者にも、女性器へのこだわりは、ちゃんと受け継がれているのだろうか。

]]>
遊ぶ machizukuri 2005-06-30T21:21:42+09:00